正義と悪の相対性
シェイクスピアの有名なセリフ「人間の一生は善と悪をより合わせた糸で編んだ網なのだ。」
この点に関して小田島雄志氏はこう述べます(シェイクスピア名言集)。
シェイクスピアはしばしば「市民1」とか「召使い2」とかいった無名の端役に名言を吐かせている。主人公たちが愚行に走るとき、コモンセンス(常識・良識)の視点から批判する形でよく現れる。人間の中に、ということはもちろん自己の中に、絶対的善のみを、あるいは絶対的悪のみを見るのではなく善悪の共存を「相対的に」見るのである
法律問題も善と悪をより合わせた糸で編んだ網。各当事者が考えている善が相手からみて悪と認識されるところから生じます。法律問題を適切に解決するためには絶対的な善や絶対的な悪をみるのではなく「善悪の共存を相対的に見る視点」が必要です。以下、伊豆隆義先生とのFB対話。
I 大学入りたてで法学の正義を探そうと考えていた頃、法律サークルの新歓イベントがあり今は亡き渡辺洋三先生の講演がありました。懇親会に行き生意気にも「何が正義か」と質問してしまいました。「相対的だ」との答え。衝撃でした。その後司法試験に受かり弁護士になってからの仕事に影響を与えています。他方、弁護士7・8年目、亡松川事件主任弁護人大塚一男先生から「弁護人が中途半端に相対的真実など求めてはダメだ」と言われ心に染みています。
H 良く判ります。相対的という答えも相対化しなければならないのでしょうね。
おそらく「相対的か・絶対的か」という問答自体も絶対化してはダメなのですね。それは「弁護士が置かれた状況の如何によって変わりうる(相対的な)問答」なのでしょう。そして、それこそが我々の仕事の難しいところなんでしょうね。