5者のコラム 「5者」Vol.134

未来の他者との対話

中島岳志「100分で名著・オルテガ・大衆の反逆」(NHK)において中島さんは柳田国男が好んだという以下の見事な記述を紹介しています。

かつて日本では「御先祖になる」という言葉が日常的に使われていた。「あなたは良い心がけだから御先祖になりますよ」とか子どもに対し「精を出して学問をして御先祖になりなさい」といった言い方です。そして人々は「御先祖になる」ため一生懸命良く生きようとしていたといいます。それはつまり自分が死んだあとも未来に仕事が待っているという感覚です。自分の未だ見ぬ孫ひ孫から、いつか「おじいちゃんは立派な人だった」「良い御先祖だ」と言われることによって自分は未来の子孫に対する規範になれるというわけです。(略)そこに表れているのは死んでからもこの世の中で一定の役割を果たし続けるという生のあり方であって、それは未来との対話・未来の他者との対話であるというのが柳田の発想なのです。

おそらく今の日本人に欠けているのは豊かな時間の感覚に身をおく生命のあり方です。現在に熱中しすぎ「過去の他者」との対話をしない。もう1歩進んで「未来の他者」との対話を意識している人は極少数ではないでしょうか。「自分は先人からバトンを手渡されて次世代にバトンを渡す中間ランナーに過ぎない」。その感覚を持つとき人は「渡されたバトン」の重さを感じるとともに「渡すバトン」の質を意識します。私も先が見えてきて、未来の子孫に対する規範を考えるようになりました。未だ観ぬ孫たちから「おじいちゃんは立派な人だった」と言われるのが嬉しいことであるのと同様、未来の若手法曹から「良き先輩法曹であった」と言っていただけることがあれば、こんなに嬉しいことはありません。そのためにも自分に出来ることを少しずつ積み重ねていきたいと思っています。

芸者

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