最終的にはあなたを見守りながら肯定しているよ
ダイヤモンド・オンライン幡野広志「ぼくたちが選べなかったことを選びなおすために」(ポプラ社)に刊行記念対談「幡野広志×古賀史健」が掲載されていました。
(古賀)初めは親の注目を引くために子どもは「いい子」になろうとします。でも学力が伴わないと何をしても認められず「これじゃ注目してもらえない」と考える。それで「いい子」の反対に振り切るわけです。こうして不良になり社会からドロップアウトしていく。(幡野)それはとても腑に落ちる話です。(古賀)親が「そんなことしなくてもあなたの存在を肯定しているよ」と伝えつづけていれば、子どもは道を外さずに済むはずなんです。幡野さんの母校の子どもたちは、成績が悪くても、親から否定されていない、むしろ肯定的なメッセージを受けとっているのでしょう。(幡野)親がすべき教育は子どもを肯定すること、これに尽きるんです。数学や国語を教えることではなく。この本の後書きにも書きましたが「親に肯定されてきたか・否定されてきたか」で生きやすさが大きく変わりますから。
重要な指摘です。子どもの非行の背景には「そこまでして注目を集めようとする」子どもの親に対する(ねじ曲がった)愛情が潜んでいることが多い。少年事件を遂行する弁護士にとって不可欠の視点ですが、少年事件に限らず、この対談で述べられている「そんなことしなくても私はあなたの存在を肯定しているよ」というメッセージは弁護士業務一般において重要な意味がありましょう。
弁護士は法律家なので要件事実に照らした「批評(批判)的見地」を持つことは不可欠です(依頼者の言うことを何が何でも肯定する訳ではない)。しかしながら否定されてばっかりでは依頼者は浮かばれません。代理人である弁護士は「でも最終的にはあなたを見守りつつ肯定しているよ」という積極的メッセージを発することが大事です。