新生児の産声の意味づけ
シェイクスピアはリア王に次の台詞を与えています。
この世に生まれ落ちた時わしらは泣いた。初めてこの世の空気を嗅いでわしらは泣いた。説教してやる。良く聞けよ。わしらはみんなこの世に生まれて、道化ばかりの、この世界という大きな舞台に放り出されて泣いたのじゃ。(安西轍雄訳・光文社古典新訳文庫174頁)
この台詞は現世を「悲劇」と見なし、舞台上に生まれた新しい命を悲しみの主人公と捉え象徴化したものですが新生児の泣き声は捉える側の心象風景によって違う意味を有します。「泣く」という行動は悲劇だけの象徴ではありません。ネイティブアメリカンには次の言い伝えがあります。
あなたが生まれたとき、あなたは泣いて周りは笑っていたでしょう。だから、あなたが死ぬときは、周りが泣いて、あなたが笑っているような人生を歩みなさい。
新生児の産声は自力で肺呼吸を始めたことの喜ばしい証です。新生児が泣きながら生まれたとき周りの者は笑っています。それは幸福な人生をスタートしたことへの周囲の祝福です。私たちが遡及的に意識できるのは自分の誕生という過去の出来事です。私たちが展望的に意識できるのは自分の死亡という将来の出来事です。重要なのは、いずれの場面においてもこれを見ている親しい他者が存在するという事実です。直接見分できませんが私たちは舞台への登場の場面においても・舞台からの退場の場面においても孤独ではありません。生と死をそれ単独で考えるのではなく、周囲の人々の反応を想像することが人生を豊かにします。だからこそ「あなたが死ぬときは、周りが泣いて、あなたが笑っているような人生を歩みなさい。」という言葉が心に響くのでしょう。