批判とオーバーアチーブ
内田樹教授は「街場の教育論」(ミシマ社)においてこう述べています。
1 教育制度は惰性の強い制度であり、簡単には変えることが出来ない。それゆえ、教育についての議論は過剰に断定的で・非寛容なものになりがちである。
2 教育制度は一時停止して根本的に補修するということが出来ない。その制度の瑕疵は「現に瑕疵のある制度」を通じて補正するしかない。
3 教育改革の主体は教師達が担うしかない。人間は批判され・査定され・制約されることでそのパフォーマンスを向上するものではなく、支持され・勇気づけられ・自由を保障されることで、オーバーアチーブを果たすものである。
法律業界は惰性の強い世界です。司法府は自ら立法府に働きかけて制度を変えるという役割を期待されてもいませんでした。司法改革の主体は法曹が担うという気概に乏しいものであったのかもしれません。日米構造協議に端を発するアメリカ政府の「対日改革要望書」は司法制度改革審議会という民主的装いを経て劇場型政治の中で易々と実現してゆきました。司法制度の瑕疵に対し日弁連が向けていた批判的スタンスは積極的意義を与えられ、これが弁護士会内における司法改革に対する評価の違いを生んで現在に至っています。反権力的だった人が改革を推し進める側にまわり、逆に権力側だった人が反改革の急先鋒であったりします。判りにくい時代になりました。マスコミの司法改革に関する論評は断定的で非寛容なものでした。その結果生まれた法科大学院制度に関する評価のぶれも極端です。司法改革において従来の日本の司法制度の良さは評価されませんでした。法曹が支持され・勇気づけられ・自由を保障されることでオーバーアチーブを果たす論調は無かったように思います。法曹は批判され・査定され・制約され続けてきたのです。