情報普遍化と弁護士の未来
西洋哲学史は「世界の本質を理論的に見極めたい」願望に貫かれています。デカルトからニュートン物理学を経て現在に至るまでこの欲望は一貫しています。数学という知的武器の洗練とともにこの傾向は強くなりました。「現象」の外形的観察を重視する経験主義の伝統も残ってはいますが観察の視点そのものが理論枠組みで決まるという問題(データの理論負荷性の問題)は解消されていません。「経験に対する理論の優位」が「素人に対する専門家の優位」を保証していたのです。
法律家の素人に対する支配的性格は「法律情報の独占的集積」に負うところが大きかったように思います。専門家の知見と素人の知見には量的にも質的にも圧倒的差異があり、かかる差異を背景にした専門家の権威が素人を圧倒していました。専門家の知的データベースは門外不出的なものでした。法律事務所の書棚に並ぶ判例集や判例雑誌の膨大な蓄積は訪れる人に威圧的イメージをすり込むのに絶大な効果があったと思われます。しかしながらインターネットの驚異的発展により情報の「量」に関しては専門家のかかる優位性は消滅しています。最近では素人の相談者が弁護士よりも(当該分野に関しては)詳しい情報を有していることがあります。「質」に関しても多数者間の質問・回答のシステムが構築され、かかる行動の蓄積が巨大なデータベースになりつつあります。次のような兼元謙任氏(オウケイウェブ社長)の言葉が現実味を増しています(佐々木俊尚「次世代ウェブ・グーグルの次のモデル」光文社新書74頁)。
専門家の知見と、専門家ではない普通の人々が積み重ねた経験による知は、これから同等になっていく。経験値を持っていれば、専門性や資格を持っていなくとも、同じだけの価値をもてるようになるはずです。
インターネットの普及により情報が普遍化し「経験的知見の集積」が進む中「知的職業」としての弁護士の未来の姿はどうなっていくのでしょうか。