5者のコラム 「易者」Vol.42

悲観と楽観の弁証法

相談者は不安を抱いてやってきます。心配しなくて良いと断言するのはリスクがあります。他方、相談者を不安のまま放置するのも問題です。何故なら相談者は不安を解消するヒントを聞くために足を運んでいるからです。不安を解消しない弁護士に対しては相談者の不満が炸裂し苦情の原因になるかもしれません。石井裕之「あるニセ占い師の告白」(フォレスト出版)に次の記述があります。

実はこれは言葉のトリックなのですが、絶対に当たる予言は無理でも絶対に外れない予言なら可能なのです。つまり、その予言は「当たったときにしかその真偽を判定できない予言」だということです。それは例えば次のような予言です。「事故に巻き込まれる可能性があります。でもいたずらに不安がる必要はありません。しっかり気をつけていれば免れることが出来ますから。」もし、たまたま何かの事故に遭遇したら、この予言は当たったことになります。「あの占い師はすごい!」と感心するでしょう。しかしいっこうに事故らしきものに縁がなかったら、どうでしょう?その場合も外れたとは言えないはずです。何故なら、あなたは「しっかり気をつけていれば(事故を)免れることが出来ます」という占い師の忠告どおり、気をつけていたから事故を回避することが出来たと言えるからです。だから予言はその意味でも当たったのです。少なくとも外れたと断定することは理論上不可能です。それどころか「あの占い師のおかげで事故に遭わずにすんだ」と感謝する人さえいるでしょう。

弁護士は提示された問題について楽観してはなりません。しかし弁護士は将来の見通しについて過度に悲観的であってはなりません。弁護士がベストの法的手段を使えばかなりのことが出来ます。弁護士に依頼することで「しっかり気をつけていれば」問題を解決することが出来るのです。弁護士はこういった「悲観と楽観の弁証法」を無意識のうちに多用しています。

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