恩送りの構造
私はこのコラムで何度か人類学者レヴィ=ストロースに言及しました。レヴィ=ストロースは構造主義の大家であり1960年代の知的世界を席巻したのですが、現代日本では今ひとつ親しまれていません。しかしながら、個を極限にまで追求する<実存主義>に比べて、社会性を重視する<構造主義>は日本人の常識的な感覚にとても馴染みやすい考え方です。例として永六輔と中村八大による名曲「生きているということは」の歌詞の一部を読んでみてみましょう。
♪ 生きているということは誰かに借りを作ること
生きてゆくということはその借りを返してゆくこと
誰かに借りたら誰かに返そう
誰かにそうして貰ったように誰かにそうしてあげよう
人は1人では生きてゆけない 誰も1人では歩いてゆけない ♪
この歌詞はまさにレヴィ=ストロースが学問的に主張したことを一般人向けに判りやすく噛み砕いたような内容です。幼児をみれば判るように人間が「生きている」ということは誰かに助けられていることを意味します。「常に・既に」借金(負債)が先行的に有るのですね。そして、これから「生きてゆく」ということは誰かにその借金を返してゆく(返済)ということです。重要なのは負債対象と返済対象が違うということです。「誰かにそうして貰ったように・誰かにそうしてあげよう」という<恩送りの構造>こそが人間社会を成り立たせているのですね。私は恩送りの構造を法曹社会の特徴的美点として描きましたが、もともと人間社会には広く「恩送りの構造」が見受けられるのです。私はこういう質の高い現代思想の知見がもっと一般社会に広がって欲しいなと思っています。