5者のコラム 「5者」Vol.18
弁護士報酬はお布施ではない
「お布施」は葬式で遺族がお坊さんに渡す金員を指します。遺族にとってこれを幾らにするかは悩ましい問題。一般市民にとり「お布施」とは相場を隠すことにより支払う側に無言のプレッシャーをかけるお寺側の呪いではなかったか?私はそう思っています。昔「弁護士報酬はお布施である」と論じられたことがあります(日弁連弁護士業務改革委員会「弁護士改革論」ぎょうせい224頁)。厳密な意味における「布施」とは仏教における六波羅密の1つとして、モノへの執着を断ち切るために自己の金員を他者に施す修行です。布施とは貰う側のためのものではなくて与える側のためのものなのです。「弁護士報酬はお布施である」という文章は、弁護士が依頼者からお金を貰うことにより依頼者の修行を助けるという意味になります。変な話です。
弁護士報酬お布施論はバブル時代に「清貧の思想」として流布しましたが「裏返しのバブル思想」ではなかったかと感じます。契約関係を規律する仕事を行う弁護士の集団(日弁連)トップが冷静な契約関係から最も遠い金員受領思想を有していた。それは依頼者に対し「幾らでもいいですよ」と優しい顔をしながら裏では相場以上の金員を支払うことを期待する弁護士側の呪術ではなかったか?弁護士報酬は絶対に「お布施」ではない!私はそう思います。弁護士は職業として仕事をしています。最善を尽くして結果を出せたならば契約に定めた明確な金員をいただいて良いはずです。それは呪術から離れた・クールな・合理的なものでなければなりません。今時、若い弁護士さんに弁護士報酬を「お布施」と認識して受領している方は存在しないでしょう。