己の分を知る(無駄な努力をしない)
精神科医・名越康文先生は「wotopi」で次のように述べています。
「己が分を知りて及ばざる時は速やかに止むを智といふべし。許さざらんは人の誤りなり。分を知らずして強ひて励むは己が誤りなり。」(「徒然草」第131段)有名な『徒然草』の中の一節ですが、僕自身非常に耳の痛い教訓なんですね「自分の分を知らないで無駄な努力をするのは誤りである」と。これは本当に大事なことだなと、自分の実感として人生観の中に刻まれています。「無駄な努力」ってことに関しては以前、武術家の甲野善紀先生と出した対談『薄氷の踏み・時代に塗りこめられないために』(PHP研究所)の中でもじっくり語っているんですよ。同じ努力でも、それが仇になる場合とちゃんと報われる場合との両方がある。そして努力が報われるためには出来るだけ正確に「自分の分」を知らなくちゃいけない。
私がコラムを書き始めたのは44歳のとき。弁護士13年目で、県弁副会長の職を終え若干の時間的な余裕を得たときです。深く考えずにウェブサイトの開設準備を始め「法律コラム」「5者のコラム」「歴史散歩」の構成を考えました。執筆開始にあたって肝に銘じたことがありました。私は研究者の道を志して挫折した経験がありますし弁護士としてそれなりの経験をして世の中には自分より遙かに優れた方がたくさん存在することを知っていました。分をわきまえない文章がいかに悲しいものであるか多少知る立場になりました。無駄な努力をしないため自分に課した規範が「自分の身の丈に合った物を書く」ということです。自分が判る範囲のものならば「それが仇になるのではなく、ちゃんと報われる」予感のようなものが出来ていたのですね。