対等と同化との上に立った交友関係
林達夫氏は評論「父と息子との対話」において次のように述べています。
子供を友人としてのみ遇することが1つの行き過ぎであることはもちろん私とて十分承知しています。子供と大人との生理的・心理的・社会的・世代的相違というものは決して無視されることを許されないものです。つまり親はまた保護者・監督者・教育者等々でもあるからです。けれども、それだからといって、またこれを差別待遇1点張りで押し通すこともやはり間違いだと思います。対等と同化との上に立った交友関係を子供は案外誠実に求めていながら、それを手に入れることはごく希であるという不幸の責任者は一体誰なのでしょうか。(略)多少とも子供から何かを学ばない親があるなら、それはよほど偉大な天才か少々ぼんやりしたバカ者かのどちらかでしょう。でなければ、あるいは何か子供に対する親の態度のうちに間違った凝固性があるからです。よくあるように、子供を感性の動物とのみ見て、その知性を前論理的と頭から決めつけてかかるのは考え物だと思います。子供に関する学問の過剰が、親が子供から学び、子供から知識をさえ吸収できるということを忘れさせていることは馬鹿げたことで、ここにも無駄ありの感を深うせざるをえません。
子供との付き合い方に悩むのはどこの親も同じ。人前で偉そうに説教をたれている先生も自分の子供との接し方が判らずに悩ましく思っている方が少なくないでしょう。子供を授かったときに私は先輩弁護士から次の教えを受けました。「子供は5歳までに全ての親孝行を終えてしまう。だから子供が5歳から20歳の間は親が子供から受けた恩を子供に返す番だ。20歳を超えた時に初めて親と子供は対等になる。」今、私は自分の子供に対し恩返しをしている状態です。恩返しが終わったときに子供と<対等と同化との上に立った交友関係>を築けたらと願っております。