境界紛争に特有の怨念
境界確定事件は裁判官泣かせ。私は自分の前の弁論の席で裁判官が当事者双方に涙ぐましい説示を行っているのを目撃しています。境界確定事件は非訟事件であり、訴えが適法に成立すれば裁判所は棄却ができない・何らかの裁判を示さなければならないと解されています。しかし泥沼化した境界事件には的確な証拠がないことが多く、裁判官は当事者の言い分を延々と聞かされてしまいます。境界争いには怨念がこもっているからです。隣人関係を根底から破壊する境界争いは人格の争いになりやすいのです。ある地域と別の地域を隔てる境界には怨念(呪術)がこもりやすい。これは人類学や民俗学で一般的に指摘されていることです。境界を設けることで「内」と「外」の区別が成立すると考えて良いと思います。境界侵犯という事態は「内」の共同体にとって「外」からの圧迫や侵入という恐怖や嫌悪の感情を惹起しやすく、それは論理に訴えるだけではなかなか解決しがたいものなのです。政治家はかかる庶民の感情を扇動して政治力強化に利用しています。
司法改革において弁護士法72条(弁護士による法律業務の独占)の存在意義が問われました。司法書士会や行政書士会との関係では現在でも激しく議論が続けられています。 しかし境界問題に関するADR(裁判外紛争解決処理)たる「境界特定制度」(2006年1月20日施行)に関しては弁護士会から表立った反対は無かったようです。裁判所もこの制度には諸手を挙げて歓迎していたように私には感じられます。私が想像するに裁判官も弁護士も境界紛争に特有の呪いから逃れたがっていたのではないかと思います。法律家は可能な限り法務局(筆界特定登記官)が境界紛争に随伴する呪いを前捌きしてくれることを願っていたのです。そして土地家屋調査士会は境界問題のスペシャリストとして境界に関する紛争を(呪いをも含めて)引き受けたのだと私は解釈しています。