5者のコラム 「5者」Vol.34

厳しい試験と丸い人格

小中陽太郎「ルポ司法試験」(1989・日本評論社)に以下の記述があります。

「ぼくがはじめて、自分の問題として弁護士にあったのは、ぼくの解雇撤回の民事訴訟を手弁当で手がけていただいた工藤勇治弁護士だった。氏は、その後、日弁連の沖縄問題特別委員会などで社会的にも広く活動している。その後、内申書裁判や小西反軍裁判、そして六価クロム訴訟、堀木訴訟、牧会権訴訟、さらに再審訴訟をつうじてお会いした多くの弁護士達はいずれも無私であり、社会正義のために戦うことを生き甲斐としていた。それは牧師、神父や僧侶のようにも見えた。」(252頁)

弁護士達は社会正義のために戦うことを生き甲斐としていました。かような弁護士達が無私の牧師・神父・僧侶のように見えたのも判ります。しかし弁護士も生活のための仕事を受任していかないと事務所を維持することが出来ません。司法改革前の弁護士は弁護士数が少なく事務所維持のための仕事が豊富にあったため、手弁当で正義のための戦いを継続することが出来たのです。

「多くの弁護士・検事が「司法試験をルポしている」というと、はじめてその苦労、通ったときの喜びを語ってくれたから、たぶん外の人とはあまり語り合わないのだろう。しかし、ぼくの見るところ、はげしい試験はエリート意識よりも謙虚さを生んでいる。」(253頁)

修習生の頃に私も同じ印象を持ちました。川の中の小石が激しい水流によって角がとれるように、厳しい試験によって角がとれたような丸い人格の修習生が多数存在しました。無私の弁護士が社会正義のために戦うことを手弁当で行えた時代。それは厳しい司法試験によって謙虚さを学んだ法曹が活躍できた時代です。将来、生活に追われる弁護士は公益的活動から離れ、弁護士会務を毛嫌いし、修習生指導の意欲も関心も無くしていくのでしょうか。