5者のコラム 「芸者」Vol.18

依頼者利益と弁護士業務の限界

渡辺憲司氏は「江戸300年吉原のしきたり」(青春出版社)でこう述べています。

厳然たる階級社会であった江戸時代でも吉原の中だけは階級というものがなかった。一歩大門の中に入れば武士も町人も皆平等の扱いを受けるのが鉄則だった。腰に大小の刀を差して威張っている武士も、茶屋に上がるときは刀を持ち込めない原則があった。茶屋が預かる仕組みだ。見世の中で権威をかさに刀を振り回されてはたまらないし、売り物の遊女を傷つけられても困る。吉原で一番偉いのは遊女だったのである。だからどんなにお金を持っていても、いくら大名だと威張ってみても、遊女がイヤだと言えば会うことすらできなかった。(49頁)

法律事務所の中に入れば社会の頂点の方も底辺の方も皆が平等です。大企業の社長さんでも違法行為があった場合はその旨の指摘をします。法律事務所の中で一番偉いのは弁護士です。社会的地位のある方でも自分の正義感に反する仕事は引き受けることができません。私はかつて5者4において「事務所の繁栄のために筋の悪い事件も抵抗なく受ける弁護士」を芸者タイプとしています。5者5では「素直だがプライドがない弁護士」を芸者タイプとしています。しかし少なくとも遊郭の女性は高いプライドを持っていました。自分が気に入らない客とは会うことすらしなかったのです。このことを念頭において、芸者4において私は弁護士の「共有の存在」たる性格を指摘するとともに「拒否権の行使」を明記しています。弁護士は経済的に苦しくても正義に反する仕事は出来ません。依頼者の利益を図ることが代理人としての役割なのですが、そこには自ずから限界があります。かつて司法研修所で「勝つべき事件を負けるのは無能な弁護士だ・負けるべき事件を勝つのは悪徳弁護士だ」という話を聞いたことがあります。筋が悪い事件を受任した場合は変な手を使って「勝訴」を目指すのではなく穏当な「和解」の可能性を探るのが弁護士の役割なのだろうと思います。

医者

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