何をすべきでないか・不作為規範
中村修治さんがFBで次の文章を引用されていたので孫引きします。
いいものというのは「やりすぎ」がない。いいものを作れる人というのは「何をやるべきか」を判っている以上に「何をすべきでないか」判っている。何かをしないという判断は決して無知なのではなく「それをすべきではない」という知恵・センスに裏打ちされていることが多い。「それをやると台無しになる」ことが判っているのだ。いいものを作れる人いわゆる「達人」はすべきだけことをやり・すべきでないことはしない。その高度なセンスや判断力は「手を加える」という以上に「手を加えない」部分に発揮されている。
弁護士が参考にすべき規範として「何をすべきか」という積極的な部分を多くとりあげてきました。しかし達人を目指すためには「何をすべきでないか」という消極的な部分にこそ注目する必要がありましょう。「何をすべきか」という規範は明示的な知識として共有可能。言語的にマニュアル化することも比較的容易。これに対して「何をすべきでないか」という規範は言語的知識というよりも(非言語的)知恵やセンスとして結晶化されています。「何かをしない」という判断は決して無知なのではありません。どんな職業であれ経験が長い一流の方は「それをやると台無しになる」ことが何なのか判っているものです。言い換えると<どうすれば勝つか>よりも<どうすれば負けるか>が判り・それを避ける手立てを直感的に判っていると表現しても良いでしょう。書面の記載・準備期日の発言・和解における表明。これらにおいて弁護士はそれをやると台無しになる言動をしないことが肝要です(反省!)。期日に於いて不用意な言動をしてしまったら、自戒を次回に回さないように持戒しましょう。それが長い目で見た場合に弁護士の自壊を避ける最良の手立てなのでしょう。