他者から要求されるものと自分がやりたいことの調和
中園健司氏は「脚本家」(西日本新聞社)でこう述べています
意に添わない仕事を断る自由はありますが、けっこう勇気がいることです。仕事をして「駄目」の烙印を押されたら二度と声をかけてはもらえません。フリーランスですから当然のことですが脚本家の仕事は常にトーナメント戦です。立場上は確かに自由ですが、自分の書きたいものだけを書く自由があるかというと、決してそうではありません。それが出来るのは、自分が書きたいものを書きたいように書いて、それがヒットした脚本家だけに与えられる特権です。(中略)ほとんどの脚本家は、要求されるものと自分の書きたいものとの間で悩み・葛藤して・そこを潜り抜けて・初めてプロとして1人前になっていきます。
「こういう仕事をしたい」と宣言し、そういう仕事だけを「自由に」行うことが出来るのであればそしてそれで生計が成り立っていくのであれば、こんなに良い仕事は他にないでしょう。現実の弁護士業はかような「夢の商売」ではありません。確かに「意に添わない仕事を断る自由」はあります。しかし紛争が対立する当事者間で生じるものである以上「何が正義であり・何が正義でないか」はかなり微妙な相対的なものです。依頼者に僅かでも理があれば、その理を代弁するのは立派な弁護士の役割です。多くの弁護士は「依頼者から要求されるもの」と「自分のやりたいこと」との間で悩み・葛藤し・そこを潜り抜けてプロとして1人前になっていきます。
中園氏は、日本の脚本家約千人のうち、家族を養えるくらいに生計を成り立たせているのは百人に満たず、それ以外は単身者か・働きをしているか・あるいは副業を持っているか・資産があるかだと述べます。(153頁)。アメリカでは本業だけで生計を立てられない弁護士が多数存在する実態が日弁連機関誌(08年8月号)で報告されました。「司法改革」の進展により日本の弁護士も家族を養える程度に生計を成り立たせることが出来る人は少数派になるのかもしれませんね。