5者のコラム 「役者」Vol.155

他人のための仕事・劇中劇の構造

私はテレビを観ませんし朝早く家を出るので連続テレビ小説は観ていません。しかし2020年は新型コロナウイルス蔓延によって事務所に行くのを意図的に遅らせたため古関裕而がモデルの朝ドラ「エール」を途中から観るようになりました。以下はその日のうちに書いた感想文2本。
1 三枝成彰「大作曲家たちの履歴書」(中公文庫)によれば、自分を芸術家と考えた最初の音楽家はベートーヴェンで、それ以前の音楽家は依頼者の要望に応えるだけの職人だった。彼らは自分の作った曲を作品とは考えていなかった。依頼者の要望に応えることが仕事であり「自分の信念」を音楽で表現することなど全く求められていなかった。ベートーヴェンは類い希な天才ゆえに自己の信念の表現が大衆に受け入れられたが、これを真似して(勘違いして)人生を棒に振った「自称・天才」は少なくない。早稲田大学の応援歌「紺碧の空」を作曲することを通じ(自分ではなく)他人のために作曲することの意義に気づかせてもらった主人公・裕一(裕而)は幸運であった。
2 「劇中劇」は古くから採用されている作劇手法だ(劇中において短い劇が演じられ、それを受けて劇全体の物語が展開される)。小劇に関して劇の登場人物は観客的な立ち位置にある。劇中劇が効果的に使われている作品は「ハムレット」(シェイクスピア)や「カラマーゾフの兄弟」(ドストエフスキー)が著名である。「ガラスの仮面」(美内すずえ)も劇中劇の多用で効果を上げている作品。今を生きる人間は過去の誰かを物語化して解釈し将来の行動指針に据えている。劇中劇はこれを再現する意味がある(「メタ演劇」と言える)。それは劇を見ている観客に対して同様のメタ視線を促す。「椿姫」を効果的に使った「東京恋物語」は見事だった。

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