ボランテイアと職業活動
BLOGOSに以下の記事が出ています(赤木智弘氏)。
本来、世の中に「絶対的に良いことばかりの行為」というのは極めて少ないはずだ。多くの善良な行為は一方で何らかの問題を抱えていることが大半である。たとえばボランティアにしても一時的な扶助であれば問題はないが「これが継続的に必要」と決まったときに(本来であれば)賃労働に切り替えて専従させることにより、スキルなどを蓄えて後継者を育てていくべき必要があるはずなのだ。にもかかわらず「これまでボランティアで済んだのだからこれからもボランティアでいいだろう」として、結局はボランティアを口実とした単なる労働力の搾取になってしまっているようなことはたくさん存在している。それは決してボランティアをさせる側だけの論理ではなく、ボランティアとして働く側ですら「自分たちが納得しているのだからいいじゃないか」という論理でこれを肯定してしまう。こうして仕事は無償労働にすげ替えられ、多くの同様の仕事がボランティアベース、もしくは低賃金労働であることを前提に用意されてしまう。今の日本には多くの「いい話という旗印」が蔓延している。お国のために・社会のために・学校のために・子供たちのために・地域のために。その一方で「それが本当にそのためになっているのか」という検証について多くの人が口を閉ざしている。
社会的に有用な事業は正当な対価を得て行う労働にしなければなりません。それこそが「職業」の本質であるからです。ボランティアを口実とした労働力搾取が継続されるような社会では正当な職業活動が継続できません。弁護士会がこれまで社会に提供してきた社会奉仕的諸活動は多くがボランティア的なものでした。担当弁護士が弁護士会から日当を得ることがあったとしても、その原資は会費ですから、全体としてボランティア的性質を有していました。このようにして「有償労働」であるべき仕事が「無償労働」として固定化されてきた面もあるのではないでしょうか?