5者のコラム 「医者」Vol.166

ビョーキの完治宣言

医者に擬えて弁護士業務を比喩的に論じてきました。その中で一番心に残っているのは富田伸先生から教示を受けた次の言葉です。「少なからずの精神科医は自らの抱えている精神的問題(あえてそれをビョーキと呼ぼう)を解決すべくこの門をたたいているようにみえる。そのような精神科医は患者さんの治療に携わることによって自らのビョーキが少しずつ治っていく。だからもし皆さんが僕たち精神科医のもとを訪れることがあるとしたら『私はこの医者のビョーキを治すことに少しだけ寄与しているんだわ』と思っていただいてよいのかもしれない。」(医者3)
 弁護士業務が30年になった私ですが、今でも深い共感をもって再読します。学生時代の私は「自分は社会生活への適応能力が無い」と感じていました。哲学なる「役に立たないもの」に魅了された私に将来の見通しなど立っていませんでした。が、ひょんなことから司法試験に合格し、訳が判らないまま実務を始めました。実務の中で私は多くの方々から依頼を受け、多くのことを学ばせてもらいながら<社会の中で生きる術>を身に付けました。多くの依頼者は生活力に満ちたたくましい方々でした。生活力が過剰であるがゆえに引き起こした紛争が多少はあったにせよ、精神的なたくましさに欠けていた自分にとっては全てが生きた手本でした。この仕事の中で感得された「人間はこのようにして生きてきたのだ・人間はこれで良いのだ」という単純明快な認識は他では決して得られない薬でした。私が仕事の中で出逢った依頼者の方々は私が「社会生活への適応能力」を磨くにおいて最高の師匠でした。たまに起こる「弁護士・依頼者間の衝突」ですら、今から思えば、砥石と刃物のような磨き・磨かれる関係の必然的産物であったように思えます。私は(精神科医と同じように)依頼者の治療に携わることにより自分の(社会的意味における)適応障害を治療してきました。お陰様で還暦を過ぎ私は「ビョーキの完治」を宣言出来るようです。え?まだ早いって?

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