アメリカの呪いによる相続法
Lawyering氏はブログでこう述べています。
相続は必ず揉めると思っておくべきだ。(略)そもそも民法が揉めるようにできている。民法(家族法)は戦後アメリカの価値観が輸入されて作られた。それは何かと言うと家の解体である。(略)家業を継いでも親と同居して介護を頑張っても歯牙にもかけられない。はっきり言って日本社会の実情からすれば極めて不公平な制度である。でも法律がそうである以上裁判になったら法律どおりの決着となる。遺言書がない限り裁判所は法定相続分での分割を命じる。兄妹は完全に平等だ。例外はない。なお「寄与分」という言葉を聞きかじったことがあるかもしれない。確かにこれは家の存続のために頑張った人間を優遇するための法制度だが、実感としては名目的である。通常寄与分は申し訳程度の微調整にとどまる。親が死んで子どもたちが相続する場合、子どもたちに遺産をキレイさっぱり処分して等分するとのコンセンサスがあれば揉めない。ただ、これはレアケースであろう。子どもたちの中に事実上の家督相続者がいて、彼が他の兄妹たちの面倒をこまめに見て他の兄妹は彼を尊敬・尊重している場合で、他の兄妹は自立して豊かで、遺産なんてなくてもいいというのであれば揉めない。親が予め生前贈与的な対策を講じて十分に言い聞かせていれば揉めない。きちんとした遺言書がある場合もほぼ揉めない。さもなくば何かしら揉める。
戦後の相続法は戦勝国アメリカの強力な呪いの中で構築されました。均分相続が原則であり実質的平等を守る寄与分は例外と位置づけられています。家業の維持のために頑張った子(通常は長男)にしてみれば寄与分は「申し訳程度の微調整」にとどまるのです。相続問題にかかわる中で不条理を感じたことは1度や2度ではありません。親のために貢献した子供の労に報いる内容の<遺言書>がもっと活用されなければならないと私は感じています。