お酒と思想
司馬遼太郎氏は次のように講演しています(「司馬遼太郎全講演Ⅰ」朝日文庫)。
そもそも思想とはどういうものかと言いますと、思想も宗教も含めまして、ひとつの観念だと私は考えています。観念とはウソであります。フィクションですね。(略)子供のときからお酒を飲み続けていて、お酒をしょっちゅう飲んでいるような人はお酒が切れるともうダメですね。違うお酒が必要なんです。(略)人間は神様が作ったのかどうか知りませんが、2通りの体質があって、お酒で言えば、お酒の飲めない人と飲める人がいる。思想も同じですね。思想をちょっと聞いて、もうそこに入信して、そしていい気持ちになる人もいます。(略)お念仏かお題目をちょっと聞くだけですぐ酩酊して集団的に一種のヒステリー状態になって走り回るということがもう可能なのですね。それは人間の体質であって思想の善し悪しではないと思うのですが、ただ、その思想というものが長い間われわれの上に君臨していました。しかしこれからは思想というものに対する尊敬心はむしろ捨てた方が良いのではないか。捨てた方が人類にとって幸福ではないか。幸福かどうかは知りませんけれども、少なくとも思想からの災害を受けずに済むのではないか、最近はそんなことを思っています。
私も酒を飲みますが酩酊して暴力を振るったりヒステリー状態になって走り回るなどありません。私は職人の息子なので(子供の時から学問的環境で育った方と違い)思想という酒が切れても大丈夫です。ただ今の私にとって「全く酒がない人生」は物足りないのです。私にとって酒は目的ではありません。楽しく人生を過ごすための手段として必要なのです。司馬先生と反対に思想や宗教に対する尊敬心を多少持っていた方が世の中をもう少し楽しく生きられるのではないでしょうか?