いじめの精神病理
さかなクンの次の話を伺いました。
メジナは海の中で仲良く群れて泳いでいます。せまい水槽に一緒に入れたら、1匹を仲間はずれにして攻撃し始めたのです。ケガしてかわいそうで、そのさかなを別の水槽に入れました。すると残ったメジナは別の1匹をいじめ始めました。助け出してもまた次のいじめられっ子が出てきます。いじめっ子を水槽から出しても新たないじめっ子があらわれます。広い海の中ならこんなことはないのに小さな世界に閉じこめると何故かいじめが始まるのです。同じ場所に住み同じエサを食べる同じ種類同士です。中学時代のいじめも小さな部活動で起きました。ぼくはいじめる子たちに「なんで?」と聞けませんでした。でも仲間はずれにされた子とよく魚釣りに行きました。学校から離れて海岸で一緒に糸をたれているだけで、その子はほっとした表情になっていました。話を聞いてあげたり励ましたりできなかったけれど、誰かが隣にいるだけで安心できたのかもしれません。
いじめに端を発する事件を受任したことがあります。そのとき感じたことはさかなクンの話と共通します。学校が「小さな世界」で完結しているが故に1人を仲間はずれにして攻撃し始める・その1人を別の場所に移すと残った生徒は別の1人をいじめ始める・助け出しても次のいじめられっ子が出てくる。何かの精神病理的プロセスを帯びているように感じられます。対処方法は(抽象的言い方しかできませんが)「魚を広い海の中に戻す」ことしかありません。いじめる子供を精神的に広い世界に触れさせることが大事です。この世界が広いことを感じれば、子供たちは狭い教室で仲間同士で攻撃しあうことが馬鹿馬鹿しくなるでしょう。「いじめ対策」として道徳教育の復権を声高に主張する者がいますが、それは「小さな世界」を増幅させるだけではないのかと私は感じています。