「銀河鉄道の夜」の宗教感覚
宮沢賢治は明治29年に花巻で出生。生家は浄土真宗の門徒であり、賢治は親鸞の和讃や蓮如の御文などを繰り返し聞かされて育ちました。「朝には紅顔ありて夕には白骨となれる身なり」という蓮如の言葉は成長してからも賢治の心に住み着いていたと思われます。他方、賢治は18歳の頃、法華経を読んで感動し以後は日蓮への傾倒を強めます。大正9年に賢治は日蓮宗の信仰団体である国柱会に入会し上京して布教活動を行います。旺盛な創作活動はこの頃から始まっているようです。昭和6年9月に上京した際、賢治は旅館で発熱し寝込んでしまいますが、このとき持っていた手帳に書き込んだのが「雨ニモマケズ」です。傍らには「南無妙法蓮華経」と書き添えられています。
賢治にとって「銀河鉄道の夜」は特別の作品でした。何度も推敲を加えており賢治が作品の完成度を高めることに如何にこだわっていたかが判ります。「銀河鉄道の夜」は不思議な作品です。夏の夜に死者と逢う(お盆)という日本の死生観を根底に持ちながらも、「十字架で始まって十字架で終わる」という銀河鉄道の構成や「サソリの火」の挿話(他者のため犠牲になる)にキリスト教のメタファーが濃厚に感じられます。賢治の宗教感覚は寛容力に富む柔らかなものだったのです。
世界の多くの紛争が宗教的対立を原因としています。このためか現代人は宗教を毛嫌いしている人が少なくないようです。しかし宗教心(広く言えば倫理感覚)は、寛容の精神に満ちている限りは、人間にとって不可欠なものではないかと感じます。法律業務をやっていると、やたらと熱くなったり反対にやたらとクールになったり、自分の中の倫理感覚を根底から揺さぶられるような時があります。そんな時に寛容力に富む柔らかい宗教心を持っていれたらなあと私は感じたりするのです。