5者のコラム 「5者」Vol.117

超越性を想定するからこそ得られる知性

 しっきー氏はブログでこう述べています。

宗教と科学の違いについて、宗教は起源となる物語や人物を疑ってはいけないのに対し科学はその起源を誰もが検証できなければいけないということになっている。僕は別に宗教のことを悪く言いたいわけではなく、キリスト教や仏教のように超越性を想定するからこそ得られる知性や教養のあり方も当然認める必要があるだろう。一方で科学はどこまでも原理的に考え「正しいから正しい」を打破する可能性を持っている。そして科学にとっては「誰でも実験できること(反証可能性)」が最も重要なことになる。(略)物理学や化学がハードサイエンスとして成り立つのは実験がしやすい分野だからで、同じ理系とされる分野でも地学や生物学は実験が難しい場面が多いので「科学」らしさは薄まる。経済学は数理的モデルをよく使う領域だが実験ができない場面が多いのでハードサイエンスにはなり得ない。実験で白黒つけることができないからこそ学派の対立と論争というものが起こる。(略)だが世の中には「科学」になり得ない領域があまりにも多いということを認識しておくべきだろう。実験が難しい領域は発言の引用元(ソース)を明確に記述することによって学術性を担保している。つまり発言の引用元を辿ることによってその意見の正当性を誰もが検証できるようにする。

 上述の文脈で言えば法律論は科学ではあり得ません。かつて社会工学的な関心の下で法律的実験を夢みる論者もいたようですが、成功しませんでした。法律論においては「実験による正誤の確認をすること」が出来ません。別の判断をした場合との比較検討という方法論は(観念論的にはともかく)実証的には不可能です。法律論は超越性を想定するからこそ得られる知性です。叙述の起源となる人が(他分野から来た者には気持ち悪いぐらいに)重視されています。だからこそ学術性や正当性を担保するために引用元の明示が不可欠なのです。

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