5者のコラム 「学者」Vol.160

絶対主義と相対主義(肉食か草食か)

刑法を学ぶ中で「人間の意思は自由か否か」を議論する場面があり「旧派は自由意思肯定(非決定論)で、新派は自由意思否定(決定論)」という図式を学んだ。この図式を批判し平野龍一博士が表明した「ソフトな決定論」に私は感心した。ソフトかハードかという別の評価軸を置くことで議論が多元化する。同様に、野矢茂樹教授が「絶対主義か・相対主義か」という議論に「肉食か草食か」を対峙させている論考をとても面白く感じた。肉食・草食という別の評価軸を置くことによって議論が豊かになるのである(野矢茂樹「語り得ぬものを語る」(講談社学術文庫)。
 平野龍一博士が「刑法総論1」(有斐閣)で提示した<ソフトな決定論>は従来の「決定論か・非決定論か」という不毛な議論対立を乗り越える画期的なものでした。人間行動が100%自由なものとは到底思われません。「構造主義」なる現代思想の洗礼を浴びた者として私は決定論に親和性を感じます。しかし、その決定のされ方はソフトなものなのです。ここに「人間的自由」の意義が表象されます。倫理における「相対主義(寛容)か絶対主義(非寛容)か」という問題は根が深く議論を整理することが難しい分野ですが「肉食か草食か」という別の評価軸を置くと思考が整理されます。言われてみると「自分も肉食系の相対主義かなあ」と思い当たりました。私は他の人が単一の価値観(特に偏狭な排外的民族主義・差別意識)に満ちた言動をしていると、心中で別の価値観を強く対峙させます。「複数の価値観の衝突」という場面を意図的に強く現出させます。その場面を現出できさえすれば、その中でどう考えるか?は世間(その人を含む)の判断に委ねる感覚(自分も「世間の中の1人」に過ぎない)が自分にフィットしているようです。これって草食?