5者のコラム 「5者」Vol.29

秩序と無秩序の交差光線

 佐藤幸治「憲法」(青林書院)は学説の客観的かつクールな描写と斬新な体系構成により「法律学としての憲法学」への志向が感じられる著作です。多くの司試受験生の基本書となりました。「はしがき」に寄せられた次の言葉は哲学や社会学の世界に見切りを付け司法試験の勉強を始めたばかりの私に強い印象を残しました。

「筆者が執筆の最中にしばしば思いを致したのは、P.A.フロインド教授の「法と正義について」(On Law and Justice)の中の次のような趣旨の一節であった。法の存在理由は、芸術の場合と同じように、人間実存の多様性と無秩序を愛しみつつ、それに一定の秩序を付与し「無秩序」と「秩序」との間に均衡と適正な緊張関係を保持することにあるのではないか。新しい展望も交差光線に照らさなければ間違ったものになる危険があり、法においても芸術においても「知性」を除いては”絶対的なるもの”はないのではないか。筆者の立憲主義へのアフェクションはフロインド教授の法の役割に対するこのような捉え方への共感に根ざしているのではないかと思う。」

 私は「無秩序」を象徴するメタファーとして易者と芸者を考えます。易者は呪術・宗教を、芸者は欲望(性的・金銭的)を含意します。他方「秩序」を象徴するメタファーとして医者と学者を考えます。医者は治療(社会統制)技術を、学者は権力行使にまつわる言説を含意します。
 佐藤教授は均衡と適正な緊張関係を保持する役割を「知性」に求めていますが、私にとって学者的知性は権力行使にまつわる言説としてしか観念できません。
 私がイメージする両者の「交差光線」は役者です。弁護士は、ときに人間実存の多様性と無秩序を愛しむ役回りを演じ、ときに秩序維持の役回りを演じることも求められます。私の弁護士という職業へのアフェクションは「秩序」と「無秩序」の間で、場面や状況に応じた役回りを演じ分けることが出来るという存在の身軽さにもとづくところが大きいと感じています。

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