5者のコラム 「学者」Vol.136

日本社会の劣化について

 内田樹先生はブログで次のとおり述べています。

組織的危機の到来を警告する人間は日本社会では嫌われる。事故を起こした原発でも、コンプライアンス違反や法令違反を犯した企業でも「こんなことを続けていると、いつかたいへんなことになる」ということを現場の人間は知っていたはずである。自分たちがやるべき手順を抜かし、守るべきルールを守らず、定められた仕様に違反していたことは現場にいる人間は知っている。でも、それを上司に伝えると「嫌な顔」をされた。それを指摘すれば経営陣はこれまでそれを放置してきたことの責任を問われる。壊れたシステムの補正のためにはそれなりのリソースを割かねばならない。仕事が増えるし利益が減るし、外に漏れれば会社の評判に傷がつく。だったら「見なかったこと」にして先送りした方がいい。人々はそう考えた。いずれ「たいへんなこと」が起きるだろうが、その時には自分たちはもう満額の退職金を手に退職した後である。短期的に自己利益の多寡だけを見れば「見なかったこと」にする方が賢い生き方である。現に「今すぐ非を認めて補正した方がよい」と諫言する人たちは嫌われ排除され「全く問題はありません」と言い募る人々が出世を遂げていった。でも、そうやって、ある日気がついてみると、どれほど危機的な事態に遭遇しても、何もしないで先送りして、ますます事態を悪化させることに長けた人々ばかりで日本社会の指導層が占められるようになった。

 日本社会の上層(政治・官僚・企業など)における質的な劣化が進行しています。これに対応してコミュニケーションの劣化も進んでいます。将来を憂慮し日本の問題点を指摘する者がバッシングの対象となっているのです。私は将来の日本社会を憂い警告を発する者こそ真の愛知者(愛国者と呼んでも良い)だと思います。そういう方々を「愛国心」の名の下に断罪し、問題が発生したら逃げる。そんな卑怯者が増殖する国に未来はありません。