建築家の喜びと難儀
建築学科を出た若者の多くは「食っていけない」という現実に押しつぶされ夢を断念します。逆に言うと建築家を職業とした方々は(役者さんと同じように)「食っていけるか」という不安と闘いながら自分の感性を生かせる仕事に誇りを持って生きておられるのでしょう。安藤忠雄「ル・コルビュジェの勇気ある住宅」(新潮社)の記述。
東京大学建築学科で学生たちを教えたときにつくづく思ったのですが、もともと建築家という職業はほとんど食えない。なのに、それを目指す学生が後を絶たないのは何故か?建築家の仕事は、家を建てたいというクライアントの切ない願いを、具体的な形で表現してゆくものであり、それは経済的なデメリットが少しくらいあってもしょうがないと思えるだけの喜びを与えてくれるんですね。彼ら学生たちも、きっとそのことに気づいているのでしょう。ならば、たとえ公園で寝泊まりするようになってもいい、自分のやりたいことに挑戦した結果なんだから!建築家を目指すからには、せめてそれくらいの勇気を持っていて欲しいものです。
弁護士の仕事はクライアントの願いを法の形で実現してゆくもの。昔の弁護士は結構な収入を得られる職業でした。両立しにくい「やり甲斐と経済的成功」を両立できることが学生に「司法試験に合格できなかったら一生を棒に振るかもしれないリスク」(競争率50倍)を取らせるインセンティブを与えていました。司法改革により弁護士になるリスクは減少しましたが(競争率5倍?)弁護士として食えるか否か切実となって、学生の法曹離れが進んでいます。改革論者は「自分のやりたいことに挑戦した結果なんだから!弁護士を目指すからには公園で寝泊まりするようになってもいい、それくらいの勇気を持っていて欲しい!」と主張するのでしょうか?