5者のコラム 「易者」Vol.159

孝明天皇の死亡原因 (仮想的尋問の必要)

京都を訪れる機会を得たので以前から関心があった泉涌寺を参拝しました(上村貞郎「古寺巡礼・京都27・泉湧寺」を手引きに)。孝明天皇を含む江戸時代の天皇の墓は全て当寺の背後にあります。墓は明治の廃仏毀釈によって寺から切り離され宮内庁の管轄になりました。敗戦後は「政教分離」を定める憲法20条により更に関係が薄められて現在に至ります。以下は帰宅後にFBにアップした感想文。

孝明天皇陵は泉涌寺背後の山麓に設けられている。意外と小さい。1866年12月11日に孝明天皇は発病。15名の医師による治療が行われた。いったん回復したものの様態が急変し血便を何度も洩らし苦しみつつ翌年1月30日崩御。35歳で急死した孝明天皇の死因は公的には天然痘とされる。が孝明天皇は健康であり回復してきた矢先の急激な悪化だったことから毒殺説が当時から噂されている。黒幕として岩倉具視・大久保利通・伊藤博文などの名前が挙がる。明確な証拠は無い(あくまで仮説)。しかし孝明天皇は長州が嫌いだった。会津藩を信頼していた。これらは表向き「尊王」を旗印にしている薩長にとって都合が悪かった。他方、後の明治天皇は当時は子供であり自分の政治的意思を形成できるはずがない。「玉」を取り替えたほうが朝廷(政治)をコントロール出来ると薩長が考えても不思議ではない。もしも薩長による毒殺説が事実であったならば、これほどの不正義が他にあろうか?

シェイクスピア演劇には「死んだ王が暗殺者を呪うために出現する」シーンがあります。黒澤明「羅生門」には死者の霊を呼び出して尋問をするシーンがあります。もし歴史的な事象に対し仮想的(呪術的)尋問を加えることが出来るのならば私は孝明天皇毒殺者の反対尋問を担当したいと考えています。暗い政治的意思の下に隠されてしまった「不正義」を質すことができれば、と思っています。