5者のコラム 「5者」Vol.132

初心忘るべからず!

 私は役者5(07年2月15日)で「初心忘るべからず」という世阿弥の言葉を引用しました。医者104(17年1月25日)では「新しく来たケースに関しては誰もが初心者なのだ」という熊倉医師の言葉を引用しています。「他者としての来談者は面接者が正しいと思っていたことすらも覆す力を持つ」という言葉も引きました。「初心」という言葉は不思議な力を持っているのですね。
 フランスの哲学者メルロ・ポンテイは「知覚の現象学」序文でこう述べます(法政大学出版局)。

世界を見届け、それを逆説として把握するためにこそ、かえって世界と我々との馴れ合いを断絶することが是非とも必要なのである。(略)フッサールの未完の手稿の中で「哲学者は永遠の初心者である」とも言われている。哲学者は世人や科学者達が知っていると信ずるものを何にもよらず既知のこととはみなさない。(略)哲学とは、哲学自身の出発点に立ち返って、繰り返しこれを体験し直すことである。哲学の全てはこの端緒を記述することに存する。

 どの業界でも新人は世界に放り出され試行錯誤しながら1人前になります。「世界に安住する」ことが出来るようになります。確立された自己は世界を「当たり前」のものとみなし「出発時点の不安に満ちた私」を忘却します。メルロ・ポンテイはこれを世界と我々との<馴れ合い>と考え徹底的に排除します。哲学の難儀な所です。弁護士が目前の事案を初心者の目線で取り組むこと。言うのは易しいのですが行うのは難い。実務に慣れた弁護士は依頼者への恐れ(畏れ)を無くしルーティンワークとして流してゆきます。安定した世界に住めるようになることは重要ですが新人弁護士の頃の驚きの感覚を維持することも大切です。「初心忘るべからず」

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