5者のコラム 「易者」Vol.14

分類とあてはめ

 池田清彦「分類という思想」(新潮選書)に次の記述があります。

分類することは思想を構築することだと私は思う。しかし、ほとんどの人はそうは思っておらず、分類はただの道具だと思っているかもしれない。我々の日常はのべつまくなしの分類作業だと言っても過言ではない。(略)分類は道具ではなく生きること自体である。

あるものに他と区別しうる名前をつけて思考の対象とすることは、思想の構築であり生きることそのものです。言葉は世界を分節します。その分節の仕方は恣意的なものです。にもかかわらず、いったん形成された言葉は人の価値基準となり、その思考を規定するのです。易者が依拠する言語体系は不合理なものです。しかし、人間による世界の分節のしかたが恣意的なものであるならば、そこに合理的根拠を常に求める方がおかしいのです。
 軍国主義の時代、日本では教育や就職まで左右する大血液型ブームが発生していました(松田薫「『血液型と性格』の社会史」河出書房新社)。「知識人にはA型が多く、犯罪者にはB型が多い」などという荒唐無稽な論文も真面目に検討対象とされました。不安な時代には易者的思考が流行ります。易者的思考は人間の思考体系を深く規律しているのです。<大前提(A型人間は堅実だ)小前提(X氏はA型だ)結論(X氏は堅実だ)>かように世界をアプリオリに類型化し各分類に特徴的思考要素を列挙して具体的判断は思考要素へのあてはめで済ます。この認識法は人間が長い歴史の中で身につけた生活の知恵です。分類が単なる道具ではなく「生きること自体」であるならば、物事を分類し・これにあてはめて判断を行う易者的思考は人間の本性に根ざしたものです。法律家はこの思考方法の一部を行っているのです。両者に違いがあるとすれば、それは法律家が前提する規範が「恣意的なもの」ではなく「知性により合理的に議論可能なもの」であることに求められましょう。

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