5者のコラム 「役者」Vol.140

全体主義の特徴と対抗する演出

  鷲田清一教授の「折々のことば」(朝日新聞)から。

ファシズムにおいて禁じられるのは「反ファシズムの発言」などではなく「沈黙」なのだ(四方田犬彦「前衛と猫かぶり」すばる6月号)。ファシズムは「人に沈黙を強いる制度」のように言われるが、実は逆であって誰もが同じことを同じように語る。そういう事態を「さりげなく成立させる制度」だ、と評論家は言う。今で言えば「忖度」を口を揃え糾弾してもことは解決しない。そこには語りの同調に抗う「沈黙」や「外し」、ときには「猫かぶり」といった<したたかな戦略>が要る。

全体主義的な雰囲気が社会に出始めたときの特徴は皆が沈黙を強いられることではありません。少数派の反ファシズムの発言が禁圧されることでもない。全体主義的な雰囲気が感じられるのは「突撃隊的な人間が我が物顔で振る舞うようになるとき」です。粗暴な人間ほど能力を発揮できるので平穏な社会では粗暴さを発揮する場がない「突撃隊的な人間」が水を得た魚のように活躍する。驚くべきことに彼らは「誰もが同じようなことを同じように語る」。そういう事態を「さりげなく成立させているもの」こそをファシズムと呼ぶべきです。社会にそういう雰囲気が出てきたときにどういう演出をして舞台上での立ち振る舞いを考えるのか?私は少なくとも「凡庸で粗暴な人間」のような言動は絶対にしたくない。でも「反ファシズムの言動」によって無駄なエネルギーを使いたくもない。私のささやかな抵抗は沈黙です。が沈黙するだけでは物足りない。せっかく舞台の上にいるのだから少しばかり「魅せる演技」をしたいという気持ちが私の中にあります。私が試みたい戦略は同じようなことを同じように語る突撃隊的な人間に向かって屁をこくことです。屁をこきながら「くっさー」と言いつつ舞台の外に足早に立ち去りたいなと思っています(笑)。

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