環境変化の強迫的な慌ただしさ
野矢茂樹教授は「哲学者のいる風景」でこう述べます。(西日本新聞)
いま東大は変わろうとしている。それ自体は悪いことではない。だが、なんだろう、この強迫的な慌ただしさは。(略)私はふと人類の罪に思いを馳せる。人間は自然を大きく変えてきた。そのこと自体は悪いことではない。植物だって地球環境を一変させたのである。人間の罪は自然を変えたことではなく、その変化の早さにある。こんなに途方もないスピードで環境を変化させていい訳がない。(略)時間をかけ、ゆるやかに変えていかなければならない。特に大学は多種多様な生物がバランスをとって生息している生態系のようなものだ。急激な変化は生態系を破壊する。この環境破壊の中で哲学が絶滅危惧種じゃなければ良いのだけれど。
法律業界は激変の最中にあります。変わろうとしているどころか既に様変わりした分野が多数存在します。昔の司法制度が全て良かったわけではありませんから変化すること自体は悪いことではありません。その変化が「強迫的な慌ただしさ」を伴っているところが問題なのです。「司法改革」の罪は司法制度を変えたことではなく、その変化の極端な早さにあります。こんなに途方もないスピードで人間の社会制度を変化させていいわけがないのです。大学や教育制度を変化させるときと同様、時間をかけて・議論を尽くし・ゆるやかに変えていかなければならないのです。人は生きる時代を選べないので、制度変化の場面において人生選択を強いられる人間にとって、変化の隙間に落とし込まれることはそのまま人生の失敗を意味します。法学部(法科大学院予備試験)司法試験・司法修習・実務という法曹養成課程は多種多様な人間がバランスをとり生息している「生態系」です。あまりに急激な変化は生態系を破壊します。既に環境破壊が顕在化しています。この延長線において普通の田舎弁護士が絶滅危惧種になってしまうことを私は心配しております。