長期的観点の刑事政策
米山公啓医師は「医学は科学ではない」(ちくま新書)でこう述べます。
ヒポクラテスは病気を超自然的な現象と区別しようとした。ヒポクラテスは病名というものを作らずに、病気の観察をじっくり行うことで、病気の観察から病気の予防という考え方を導き出した。彼は「医者の仕事は自然治癒力に手を貸すことだ」と考え、病気の治る過程を重要視し、治療より自然治癒力に注目したのだ。発熱・化膿などのからだの反応は治療の過程で起こることだと見抜いたところに卓越した観点がある。この点でヒポクラテスは現代医療の問題点を見事に付いていることになる。医学技術、科学技術の無い時代に現代医療の問題点を抉り出す視点を見いだしていたのである。二千数百年の時間を超えてヒポクラテスは現代の医者のあり方に疑問を投げかけるのだ。何故なら未だ多くの医者は風邪による発熱に解熱剤を処方していることからも分かるとおり、人間に備わった自然治癒のメカニズムを軽視しているからだ。本来ウイルスの繁殖を抑えるためなら薬で高熱を押さえ込むよりも、むしろ身体の反応にまかせ自然治癒をまつ方が有利である。(44頁)
刑事裁判に関わる者は犯罪の本質を世間的レッテルと離れたところで観察する必要があります。刑法の役割は犯罪の抑止。長期的観点で人間の自然治癒力を考察すること。矯正保護は手段であり、犯罪に対する社会的非難は刑事手続における現象です。ヒポクラテスの思考は二千数百年の時間を超えて刑事裁判に課題を投げかけます。今も民事責任(被害救済)との区別を没却した憎悪が世間を支配しています。ヒポクラテス的な見地は考慮されているでしょうか。被害者保護のために真に必要なのは民事責任の強化であり、犯罪抑止のため本当に必要なのは社会政策ではないでしょうか。