抽象的な思考をしなくなったのではないだろうか
作家・高村薫氏が嘆いておられます。(毎日新聞)
ひるがえって、私たちはいつの頃からか、生命や社会や人生について、抽象的な思考をしなくなったのではないだろうか。「人間とは」と言いだすだけで「ドン引き」される今の時代。もてはやされるのは日常の小さな仕合わせや・ささやかな暮らしの風景や・心温まる小さな生きものたちの物語などである。そこでは人間の一生は、日々の暮らしの送り方や・手づくりのご飯や・食卓に生けた一輪の花などに還元される。もっと言えば個々人の生活感覚や価値観へと矮小化される。(略)今日、私たちはネットを通して自分に必要な情報を・必要なだけ入手するようになった。そうして個々に興味のある情報だけを効率的に収集することで個人や仲間内の関心事だけで満たされた快適な暮らしが出来上がるが、それは抽象的な思考や公共への関心とは無縁の暮らしと言える。もっとも、社会や他者への無関心と引き換えに足もとの小さな仕合わせがやたらにクローズアップされる今日の風潮は、私たちの隠れた不安を映しているのかもしれない。(略)かくして「生きるとは」「人間とは」などと哲学するより猫でも眺めて癒やされたいというのが今の時代であれば、なるほど小説が売れないはずである。
弁護士も生命や社会や人生について「抽象的な思考」をしなくなったのではないでしょうか?正義とは?と言いだすだけでドン引きされる今の時代。もてはやされるのは要件事実のマニュアルであり・専門性の向上であり・マーケティングです。若い弁護士は体系書ではなくネットを通し必要な情報だけを入手するようになりました。直ぐ役に立つ知識だけが効率的に収集されています。それは抽象的な思考や公共への関心とは無縁の法律家人生です。かくして「公共性とは何か?正義とは何か?」などと哲学するよりもスマホでも眺めて癒やされたいのが今の時代なのでしょうか。なるほど法律学(特に法哲学)の体系書が売れないはずです(涙)。