ゼロサム社会とプラスサム社会
学生時代、経済学の講義で「ゼロサム」と「プラスサム」の概念について話をされていて興味深く聞いたことを覚えています。ゼロサムは勝った者が負けた者から点を奪うゲームで総計は常にゼロになります。勝者の利得は敗者の損失です。これに対してプラスサムは勝者と敗者が独立に点を重ねていくゲームで勝負は獲得した点数の多少で決まります。講義では、社会科学的な見地でのゼロサムとプラスサムの感覚の違いが説明されていました。マルクス主義を典型とする批判的な見地ではゼロサムの感覚が強調され、勝った者(経営者)の利得(利潤)は負けた者(労働者)の産み出す剰余価値だと説明されます。両者の利害対立が強調されます。これに対し近代経済学の見地ではプラスサムの感覚が強調され、経済成長を遂げることによって全国民が幸福になる道が模索されます。利害対立は相対的なものであり、むしろ経済成長に向けて両者は協力すべきものになります。
発展途上の社会ではプラスサムの意義を強調することが簡単です。みんなが豊かになれる感覚を共有することが可能だからです。が、経済成長が止まった社会ではゼロサムの感覚が拡散し、勝者の利得は敗者の損失というシビアな戦いが繰り広げられることになります。私が学生時代の日本は(高度成長はとうの昔に終わっていたものの)バブル経済の最中で戦後日本社会が積み上げた富の派手な消尽が繰り広げられていました。プラスサム幻想が残存していました。が今や日本社会は長い下り坂を降りていかなければならない状況です。ゼロサム社会のシビアな状況が現れるようになっています。今後の日本社会は「勝った者の総取り」という過酷な社会になっていくように思われます。格差が拡大する一方の日本社会のひずみは今後ますます大きくなってゆくのでしょうね(涙)。