法の日常を成り立たせるものを言語化する
日常業務と哲学の関係について中村多美子弁護士(大分)とFB上で対話。
H 世間から見れば哲学は無駄な営みですよね。学者も「法哲学が必要となるのは大事件だけであり普通のありふれた事件は哲学や思想とは関係がない」と考えているのでは?
N 哲学を「学問」として研究しようとすればそうかもしれませんね。私は著名事件をやったり運動をがんばったりしない、地べたを這うような事件ばかりやってる田舎弁護士ですが、死にものぐるいの当事者が放つ「問い」には法について真摯に考えさせられる内容があると思っています。法学研究者はアブノーマルな事件ばかりを見ているような気がします。私たち法律家にとって「法の日常の光景」は「無名な無数の事件」の中にあり「当事者との対話を通じて法の日常を成り立たせているものを再考すること」の繰り返しが私にとっての「法哲学」です。
H そそそ。私たちにとっての日常的な法の事件って判例雑誌には載らないんですよね。あまりに当たり前すぎてニュースバリューがないんです。でも「日常的な当たり前の世界」こそ哲学的考察の対象であることを認識させてくれるのも哲学的知見なんですよね。
N はい。「法の日常」は研究者にとっては暗黙知になっているようです。
H 難しい言葉で言えば、「普通の弁護士」が「普通に扱っている」「普通の事件」の「哲学(現象学)的な考察」が必要なのであろうと私は考えています。(対話終わり)
西洋には「神は細部に宿る」という格言があります。もじって言えば「法は普通に宿る」と私は感じています。事件を解く鍵は「事件になる前の日常性の分析」にあります。複雑な事件を解決する鍵も「ありふれた事件の普通の解決方法の認識」にあります。法律家にとって最も分析を必要とする「法の日常の光景」は普通のありふれた出来事の中にこそ存在するのですね。