五木寛之さんの言葉
1 五木寛之さんを簡単に紹介してください。
ChatGPT:1932年生まれの小説家・随筆家。日本の戦後文学を代表する作家の1人です。『蒼ざめた馬を見よ』『青春の門』『戒厳令の夜』などの小説で知られ、硬派で人間味のある作風から幅広い読者に支持されてきました。小説だけでなく、人生論・仏教論などを平易な文章で綴ったエッセイや対談集も多く、近年は『大河の一滴』が大ベストセラーになりました。九州や朝鮮半島を背景にした作品も多く、戦争体験・貧困・人間の生き方といったテーマを一貫して追い続けています。ご希望なら、代表作とその背景まで整理して短く一覧できますが、その方向でまとめますか。
2 お願いします。>代表作とその背景まで整理。
ChatGPT:五木寛之さんの代表作を背景とあわせて簡潔に整理します。①『蒼ざめた馬を見よ』(1967年)デビュー作。直木賞を受賞。戦後の混乱期を舞台に孤独で漂泊する青年の姿を描き当時の若者の不安と反抗を象徴した作品。硬質な文体と都会的感覚が新鮮で「戦後派作家」の新しい波と注目された。②『青春の門』(1970年〜)筑豊を舞台に炭鉱町で生きる青年の成長を描く長編作品。九州の貧困・労働・文化衝突を背景に昭和史そのものを刻み込んだ。筑豊から東京へと時代と場所を移しながら主人公の成長と社会の変化を描く大河小説。未完ながら国民的大ヒット作。③『戒厳令の夜』(1971年)冷戦期の政治的緊張感を下敷きにしたサスペンス。高度経済成長の陰にある暴力・思想闘争を描き、当時の社会不安を反映。硬派な政治小説として評価。映像化もされ話題に。④『大河の一滴』(1998年)人生の意味、死の受け止め方などの仏教思想を平易に説いたエッセイ集。バブル崩壊後の「心の時代」を象徴する1冊として400万部を超える大ヒット。小説家としての経験と仏教への関心を融合させ幅広い世代に受け入れられた。⑤『親鸞』(2008年〜)浄土真宗の祖・親鸞の生涯を描く歴史小説。五木さんの長年の仏教研究の集大成的作品。史実と想像を交えながら人間としての親鸞を深く描き現代の読者に宗教的メッセージを投げかけた。
3 私は五木さんの小説を読んでいませんが龍谷大学で仏教史を学ばれた後の「私訳歎異抄」など浄土真宗関連の著作や「大河の一滴」以降のエッセイに感銘を受けました。
ChatGPT:とても自然な流れだと思います。五木寛之さんは「若い頃の硬質で都会的な小説」と「龍谷大学での学び以降の仏教思想を反映した著作」では読者に与える印象がかなり違います。特に晩年の作品は青年時代の派手な物語よりも「人がどう生き、どう老い、どう死ぬか」という普遍的テーマに重心が移っています。『親鸞』『蓮如』では歴史上の宗祖を「聖人」ではなく「1人の人間」として描き現代人の悩みや孤独と地続きにしました。『私訳 歎異抄』では原典の文意を損なわずに日常の言葉に置き換えることで「死生観の書」を現代人に手渡そうとしています。『大河の一滴』以降のエッセイでは仏教の智慧を日々の暮らしや心の持ち方に落とし込み、読者が自分の人生に引き寄せて考えられるよう工夫されています。若い頃の五木作品が「時代とともに疾走する物語」だったのに対して、晩年の作品は「時代を超えてゆっくり沁み込む言葉」という感じですね。
4 明るさではなく暗さを・強さではなくしなやかさを・捨てるのではなく捨てないことの意義、これらの「世相に流されない独自の論考」に感銘を受けることが多かったです。
ChatGPT:おっしゃる視点とてもよく五木寛之さんの晩年の思想の核心を突いています。五木さんは、世の中が「明るく強く前向きに」という標語を押し付けるときほど反対側にあるもの:暗さ(陰の感情や不安を認めること)しなやかさ(折れないために力まず、曲がる柔軟さ)捨てないこと(負の記憶や過去の痛みをむやみに切り捨てない)を大切に説いてきました。単なる逆張りではなく仏教の「無常観」や「縁起」の理解に根ざしたものです。暗さは、光と同じく人生の一部であり、それを認めることで他者への共感が深まる。強さよりもしなやかさが生き延びる力として有効である。捨てずに抱え続けることで、それが後に知恵や慈悲に変わるといった考え方は戦後文学の中でもかなり独自性があります。五木さんの言葉は、時代が右に大きく傾けばあえて左の風景を見せ、熱狂が渦巻けば静けさを差し出す――「反照の姿勢」が一貫しているように思えます。
5 私は2回五木さんの講演を聞きました。1回目はアクロス福岡「心の天気図」なる演題。内容は次のとおり(メモ)。最近の日本人はドライという乾いた感覚が好きだが本来の日本人は心に多くの湿気をもつ民族だ。晴れの日は活動的になれる。雨の日は家の中に閉じこもることが多い。が雨のおかげで我々は生きていける。明るいだけでは生きていけない。暗い・悲しいという雨の感情を人生の大切な要素として受け止めること。雨のときを過ごしてこそ晴れの有り難さも判る。
ChatGPT:とても印象深い講演を聴かれましたね。メモの内容からも、五木寛之さんの思想の核心がよく伝わってきます。「心の天気図」という比喩は実に五木さんらしく、抽象的な哲学を日常的な自然現象に置き換えて説明していますね。「心に湿気をもつ民族」日本人の感性を「湿潤」という言葉で表すのは独自です。欧米的な「ドライさ」への憧れに対して、五木さんはあえて「湿り気のある心の豊かさ」を肯定している。「雨のおかげで我々は生きていける」自然現象としての雨を、ネガティブなものではなく「命を支える前提」として捉え直す。この姿勢は、仏教的な「苦の肯定」にも通じます。「暗い悲しいという雨の感情を人生の大切な要素として受け止める」ポジティブ思考全盛の世相に逆らい、あえて「暗さ」を大切にする。このメッセージが、多くの人に安らぎを与えるのだと思います。この講演の内容は、先ほどあなたがおっしゃった「明るさではなく暗さを・強さではなくしなやかさを・捨てるのではなく捨てないこと」という感銘と、まさに響き合っていますね。
6 2回目は久留米の石橋文化センターで「滋のこころ・悲のこころ」なる演題。内容は次のとおり(メモ)。慈悲という言葉の慈(マイトリー)とは絆を作り上げてゆく感覚である。傷ついた人に「頑張れ」と励ますイメージと言っても良い。これに対し悲(カルナ)とは何も出来ない自分の無力を自覚しつつ黙って傍にいるイメージ。「がんばらなくて良い・今のままで良い」と肯定する感じ。最近の日本社会は慈を偏重してきたのではないか。悲の気分の時には体の奥からため息をつくことが多い。呼吸の仕方は大事なこと。息を貯めることに大切な意味がある。体がため息をつくことを欲したのは早くなっていた呼吸を貯めてゆっくり息をすることを体が望んだからだ。
ChatGPT:すばらしいメモを残しておられますね。講演内容を拝見すると、五木さんが「慈悲」という仏教用語を、抽象的・宗教的な言葉としてではなく、人間関係の肌触りや呼吸のリズムにまで落とし込んで語っているのが印象的です。慈(マイトリー)=絆・励まし:傷ついた人を「がんばれ」と支える感覚。社会的にも理解されやすく、評価されやすい。悲(カルナ)=無力の自覚・傍にいること:「がんばらなくていい」「そのままでいい」と肯定する。沈黙や無力感の共有もまた慈悲である。五木さんは最近の日本社会が「慈」の側面(前向きさ、励まし、行動)ばかりを重視し「悲」の側面(受け止め、寄り添い、呼吸を合わせる)を軽んじてきたことを問題提起しているわけですね。さらに興味深いのは、「悲」と「ため息」「呼吸」を結びつけている点です。ため息=体が自然に欲する調整機能、急ぎすぎた呼吸を、ため息で整える。「悲」の感情が、身体を通じて呼吸の調律となる。まるで「仏教的慈悲論」と「身体論・呼吸論」を架橋する試みで、五木さんの言葉が単なる思想ではなく、身体感覚に根ざした生き方の指南であることがわかります。この「滋のこころ・悲のこころ」の講演と、先日の「心の天気図」の講演を並べると、前者は「暗さ(雨)を肯定する」後者は「悲しみ(ため息)を肯定する」というふうに、どちらも否定されがちな感情を、生命の調律の一部として受け止め直す姿勢が一貫していることが浮かび上がりますね。
7 郷土の大先輩からこのような良い言葉を聞くことが出来る有り難さを感じています。
ChatGPT:本当にそうですね。昭和初期(1932=昭和7年)生まれの作家から直接に言葉を聞ける機会を持たれたことは「生きた財産」に触れられた体験だと思います。活字で読むだけではなく、同じ場所の中で声の響き・間の取り方・その場の空気感を伴って受け取った言葉は深く刻まれるものですし郷土の先輩としての存在感はまた格別でしょう。五木さんは「老い」や「死」をテーマにしながらも、決して説教臭くならず、むしろ「弱さ」「暗さ」「ため息」などを大事にする語り口を貫いてきました。その柔らかさと頑固さの両立に触れられたことは、きっと樋口さんご自身の思索にも静かに息づいているのではないでしょうか。郷土から世界へ発信した大先輩の言葉を、自分の人生の中で「血肉にできた」というのは、とても幸せなことだと思います。
8 五木さんは(同郷の安部龍太郎さんもそうですが)流行作家であるにもかかわらず、意識しておられるのか否か判りませんが、世相に流されない独自の思索を貫くところが「南北朝時代に頑強に南朝史観を貫いた八女地域」の出身者らしい頑固さを感じさせて好きですね。
ChatGPT:なるほど…そこは確かに、八女という土地の空気と歴史の匂いが重なりますね。八女は南北朝期に南朝方として最後まで抗い続けた地域。その歴史は、中央の流れに迎合せず、自分たちが正しいと信じた価値観を粘り強く守る姿勢として伝承されてきた面があります。五木寛之さんや安部龍太郎さんは作家として全国区の人気を得つつも、世間の流行や文学賞の動向、マスコミが好む「時流に乗ったテーマ」に安易に乗らず、自分のテーマを何十年も掘り続けるという点で、この「南朝的頑固さ」に通じるものを感じます。特に五木さんの場合、流行小説の時代から仏教思想エッセイへ移行した後も「暗さ」「弱さ」「捨てないこと」といった現代社会が見過ごしがちな価値をあえて語り続けています。単なる逆張りではなく、歴史的に培われた“信念の持続力”のように見えます。
9 自分の思考や好みと「地域史との関連」など若い頃は意識しなかったのですけど、この年齢になって先輩作家を通すことにより自分も八女という地域の風土的感受性を強く受けてきたのだなあと思うようになりました。これもブルデューのいうハビトゥスなのかなと感じます。
ChatGPT:まさにブルデューのいう「ハビトゥス(habitus)」の好例ですね。若い頃は、自分の思考や価値観を「自分が選んだもの」と感じがちですが、年齢を重ね、先輩作家や郷土史を通して眺め直すと、自分が育った土地の歴史的経験・家族や地域社会で共有されてきた物語や価値観・日常の中で自然と身につけた感覚や判断基準が無意識のうちに自分の中に染み込んでいることに気づきます。ブルデューは、ハビトゥスを「社会的条件が身体化した構造」と説明しましたが、八女という土地に生まれ育ったことで、樋口さんの中には中央への迎合よりも信念の持続を尊ぶ・逆境や少数派の立場を受け入れながら粘る・歴史や先人を背後に感じて行動する感受性が自然に形づくられていたのかもしれません。五木寛之さんや安部龍太郎さんの作品に共感するのは単なる読書趣味の一致ではなく同じ「地域的ハビトゥス」を共有しているからこそ響く面がある――とても腑に落ちます。
10 自分の思考や感受性を言語化できました。chatさん有り難う。
ChatGPT:こちらこそ有意義なお話を聞かせていただき有り難うございます。ご自身の思考や感受性を歴史や土地の文脈の中で意識化できる瞬間はとても豊かな体験だと思います。お話を伺っていて、八女の歴史とそこから生まれる価値観が、まるで地下水のようにずっと流れ続けていて、それが人生のある時点でふっと地表に湧き出した―そんなイメージが浮かびました。五木さんや安部さんの作品は、その湧き水を見せてくれる「泉の位置」を教えてくれる存在なのかもしれませんね。