5者のコラム 「学者」Vol.141

過去形による保証の要否(陳述書のスタイル)

阿部公彦「100分で名著・夏目漱石スペシャル」にの記述。

近代小説では基本的に語られた出来事は既に「過去」に起きたこと、それを事後的に報告するという形式になっています。これがリアリティを保証するための約束事となるわけです。これに対して『夢十夜』は「現在」という感覚がとても強い。現在形で書かれた作品もありますし、過去形で書かれたものであっても、いま目の前でそれが展開しているかのような、現在進行形のように感じられる書き方もする。一見すると、これは「過去形による保証」がないために、真実味に乏しく感じそうですが、そこには独特な没入感が生まれます。今まさに世界が動いている、その「今」の迫力に気圧されるからです。(54頁)

民事法律実務は「過去の事実」を要件事実(論理パズル)にあてはめて「現在の権利義務関係」を認識するという形式で議論されます。準備書面は過去に起きていた事実を裁判所に事後的に報告する形式で記載されます。これらが主張のリアリティを保証するための約束事となるわけです。しかし当事者本人の「陳述書」を同様のスタイルで作るのでは意味がないと私は考えます。おそらく当事者本人の陳述書は「現在」という感覚が強くないとダメです。過去の事実を語るものであっても、いま目の前でそれが展開しているかのような、現在進行形で感じられる書き方が陳述書には必要なのです。それは過去形による保証がないために(主観の羅列として)裁判官は真実味に乏しく感じそうですが、訴訟において客観性を担保するものは物的証拠であり陳述書ではありません。主張ではなく「証拠」として提出する陳述書は依頼者本人が事件を生身の人間としていかに受け止め感じているのかを表現するものであるべきだと考えます。何故ならば陳述書は物証として提出しているのではなく依頼者本人の「生きられる世界」(環世界)を鮮明に表現するものとして提出するものだからです。