しょせん敗北する技術
精神科医中井久夫先生は評論家浅田彰氏との対談でこう述べています(文藝別冊「中井久夫・精神科医のことばと作法」河出書房新社)。
医学はしょせん敗北する技術ではあるけれども、一方でとりあえずの技術でもある。工学者は100年経たないとこういう橋は架けられないと言えるだろうけど、頭の病気は100年たったら治せるはずだからそれまで待ってくださいとは言えない。アズ・イフでやってますからね。そういうマジカルな部分が給料のかなりの部分を占めているわけです。最後は鎮魂です。症状を取るとか、そんなことはどうでもいいので、最後は居直って言えば魂鎮め(たましずめ)だね。急性の病気は治せるけど慢性の病気は完全復元はない。それは技術が未熟というのではなくて、病んでいることが個人史の一部になるわけだから。だから心情的に納得して初めて「治る」のでしょうね。(155頁)
損害賠償請求事件(被害者側)を念頭に記述します。弁護士実務は「本当の意味での正義」を実現するものではなく「しょせん敗北する技術」ではあるけれども、一方で「とりあえずの正義を実現する技術」でもある。宗教者は倫理的見地から正義が「100年たてば実現する」と言うのかもしれないが、目の前の正義は「100年たてば実現するだろうからそれまで待ってください」とは言えない。司法制度もアズ・イフでやっている世界。そんな「マジカルな部分」がかなりの部分を占めている。最後は「鎮魂」ですよ。目の前の損害を回復するために賠償金を取ることを「どうでもいい」とまでは言わないにしても、居直って言えば「魂鎮め」に過ぎません。金銭的救済は出来ても身体的な被害や大事な人を失った方の心の痛みは絶対に消せない。これは法律制度が未熟云々というものではなくて、本質的なものです。そういう被害に遭った事実こそが個人史の一部になるわけだから。なので被害者が事件を心情的に納得して初めて「鎮まる」のでしょうね。