歴史散歩 Vol.61

歴史コラム(ファスト風土化の光と影)

 「ファスト風土化」は評論家三浦展氏が「ファスト風土化する日本・郊外化とその病理」(洋泉社新書y・2004)において展開した概念です。三浦氏は「ファスト風土化」を悪と主張します。

それは直接的には地方農村部の郊外化を意味する。と同時に中心市街地の没落を指す。都市部でも農村部でも地方固有の歴史・伝統・価値観・生活様式を持ったコミュニティが崩壊し、代わってちょうどファストフードのように全国一律の均一な生活環境が拡大した。(略)豊かな自然や長い歴史を感じさせる街並みが衰退する代わりに真新しい道路が出来、車が走り、ニュータウンが出来、プレハブ住宅が建ち、ファミリーレストランやディスカウント店が立ち並ぶ風景。(略)犯罪の多い都市と、のどかで平和な地方。それはもう幻想だ。ファスト風土化した地方こそがいま最も危ない。これ以上ファスト風土化が進めばどうなるか。もう取り返しのつかない段階に日本は来ている。(4頁)

これに対し東浩紀氏は対談集「父として考える」で三浦氏を批判し、こう述べます(円堂都司昭「ゼロ世代の論点」ソフトバンク新書より孫引き)。

かつて三浦展さんがショッピングモールに覆われた風景を「ファスト風土化」として批判しました。似た問題意識を持つ方は多いですが僕はその見方はあまりに一方的だと思う。実際若い子連れの夫婦が余りお金をかけずに一日遊べて買い物も出来るという意味ではショッピングモールほど便利で快適な場所はない。(190頁)

たしかにショッピングモールは便利です。コンビニエンスという価値観を全面に掲げられれば地方の中心市街などショッピングモールにあっさり敗北するでしょう。東浩紀氏はショッピングモールに集まっている消費者の意見を代弁しています。三浦氏の如き問題意識をもつ方が「多い」のではなく東氏のようにショッピングモールを楽しむ方が「多数派」だからこそ、その政策を推進する行政の論理とこれに群がる市場が成り立っているのでしょうね。
 昔の田舎暮らしは不便でした。三浦展氏が評価する地方固有の歴史・伝統・価値観・生活様式なんぞは若き日の私にとって「自由を束縛する桎梏」以外の何者でもありませんでした。「ファスト風土化」とは<私たちが望んだ未来>なのかもしれません。しかし私はそれでも三浦展氏に共感します。地方固有の歴史はかけがえのないものであると私には感じられるのです。全国何処に行っても同じような風景が広がる。郊外に新しい道路が出来・同じような車が走り・ニュータウンが出来・プレハブ住宅が建つ。ファミリーレストランやディスカウント店が立ち並ぶ。これと対照的に地域固有の長い歴史を感じさせる街並みが衰退しています。私はショッピングモールに恨みがある訳ではありません。この流れが消費者の欲望を実現する形で作られているものである以上この流れを止めることは出来ないのではないかとすら感じています。「ファスト風土化」に対抗するため私がこのコラムで表現しているのは<地方固有の歴史を大事にして語り継いでいきたい>という気持ちだけです。

* 三浦展「再考:ファスト風土化する日本・変貌する地方と郊外の未来」(光文社新書2023)を拝読。20年近い時間の経過によって事実も言論も変化してきた。現在、一般的な若者はファスト風土を所与の前提として(原風景として)生きており、ファスト風土に対して強い違和感を持たないのが大多数。これと対極の街を「にぎわいがない」「やる気がない」と感じる学生もいる。この時間経過をふまえて構成された本である。以下、構成を紹介。
第Ⅰ部 考察編:ファスト風土論を再読する(第1章地元に残れなかった者の地元愛・第2章ファスト風土暮らしの若者論・第3章8ミリフィルムが捉えた秋田とファスト風土・第4章郊外写真の系譜ファスト風土はどう視覚化されてきたか・第5章風景のリミックス新海誠とポスト郊外の想像力・第6章ファスト風土世代の事件悲しみを受け止める街の必要性)
第Ⅱ部 実践編:脱ファスト風土な世界を作る(第7章見立てのファスト風土リノベーション・第8章ファスト風土から谷中へ・第9章ファスト風土化する街を駅から耕す・第10章イタリアから学ぶファスト風土・第11章センシュアスシティとファスト風土・第12章女性が地方で生きやすくなるために・第13章スローでボトムアップなまちづくり・第14章ヴァーチャルファスト風土批判)
第Ⅲ部 「第5の消費」のまちづくり(第15章脱ファスト風土化の新動向・第16章「第5の消費社会」のS:スロー・スモール・ソフト・ソーシャブル・サステナブル)

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