歴史散歩 Vol.81

歴史コラム(理科系的な歴史読解)

大人になって歴史に興味を抱く人には意外と理科系の人が多いようです。若い頃に歴史に触れていない反動で、何かのきっかけで歴史に触れたとき、知的興奮を感じる方が少なくないようです。趣味としての歴史なので好き勝手にやれば良いと私は考えます。現在、私は法律家として仕事をしています。「供述証拠」と「非供述証拠」の意義及び問題点に若干の見識をもっています。供述証拠は「人が言ったこと」なので説明としての判り易さはありますが、他方で供述者の立場・利害・信用性を吟味しなければならない側面が随伴します。他方、非供述証拠は「モノ自体が示していること」なので客観性が高いものの、証拠評価に専門的知見を要求されることになります。こういう観点から歴史資料を拝見すると<文科系的な見方>は主観的な供述証拠を高く評価して歴史認識を形成し<理科系的な見方>は客観的な非供述証拠を高く評価して歴史認識を形成していると感じられます。

 歴史の評価における理科系的「非供述証拠」とは例えば次のようなものです。
1 地形(地図)
  歴史事象が発生した場所の地理的要因(特に地形)が重要な意味を持っている場合が結構多い。したがって地形認識を示す地図は第1級の歴史資料というべきです。
2 気候(気象変動)
  気象条件は具体的な人間行動を規定する極めて重大な要因です。ゆえに歴史事象を深く分析するためには「当時の気象データ」が不可欠というべきです。
3 自然災害(大地震など)
  人間の意識は自然災害で一変します。特にナショナリズムの勃興に大災害(地震・津波・大雨・干ばつ等)が寄与していることは多く見受けられます。
4 病気(医療)
  病気と治療のあり方は人間の生に直結します。特に感染症の大規模発生(パンデミック)は直接に歴史を動かしてきました。「生の管理技術」こそ政治の中核です(@フーコー)。
5 資源(鉱業)
  戦争の多くが資源争奪を要因としていました。資源分布は「地学」的研究の対象ですが、それはそのまま「地政学」的研究の対象でもあり得ます。
6 交通(兵站)
  ロジスティックスの直接的な意味は「兵站」ですが、広義では「交通・運搬」の全体を指します。交通手段の変遷により覇権者が交代してきました。
7 食料(農業・生物)
  食料の在り方は人間の生存を根底から規定するものです。したがって歴史事象の根底に「食料をめぐる争い」が潜んでいることが大いにあり得ます。
8 通信(宣伝)
  政治の根本は自分の意思を相手方に飲ませること。口コミ・書物・新聞・電信・電話・ラジオ・映画・テレビ・インターネット等、通信手段の変遷が政治形態を変えてきました。

「非供述証拠」を正しく評価するためには理系的な知識や方法論が不可欠です。今後の知的世界は文系理系の区別が意味をなさなくなるように私は感じます。歴史分野においても同様です。理系科目(物理・化学・生物・地学)の基礎的知見無くして「非供述証拠」の理解は不可能。これら科学的知見に基づく歴史分析は「供述証拠」(物語)としての歴史を破壊する力を秘めています。「物語としての歴史」の多くは勝者が形成したもので勝者のイデオロギーに染められていることが少なくありません。理科系的な歴史分析は政治的思惑から比較的自由です。

* キリスト教が世界に広まった背景にはヨーロッパ人が世界中にまき散らした感染症の病原体と免疫効果(ヨーロッパ人は発症しないのに現地人は大規模感染を起こした)が存在します。それは医療を重要な要素とするキリスト教を他民族宗教より規範的上位に置く役割をはたしました(マクニール「疾病と世界史」中公文庫)。こういう見方は文系的な視点では得られませんね。
* 速水融先生はこう述べます。そもそも歴史には「人間のいる歴史」と「人間のいない歴史」があって両者は特に深く交差したり、ある時はお互いに背中合わせになったりする。筆者は、我々が書く「歴史」は人間不在であってよい、とは毛頭思っていない。しかし人間もまた一生物であり環境や自然と無関係でいることはできないと考えている。特に流行病の歴史は人間と人間以外の微生物の歴史が交錯する場面であり、その結果、ある場合は人間の歴史を大きく動かした(「日本を襲ったスペインインフルエンザ」藤原書店)。人間は自然史という「果てしない時間と空間」の中で「極短い時間と極狭い空間」を生かされているだけのちっぽけな存在に過ぎないんですね。文系的人間は「人間のいない歴史」を想起し肝に銘じる必要があります。

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