昭和47年2月の出来事
昭和47年(1972)の2月は大事件が連続した。私は9歳だったが強く記憶している。
2日、28年間グアム島ジャングルに潜んだ横井庄一氏が帰還した。3日、札幌で冬季オリンピックが開幕し13日まで日本中を熱狂させた(特に70メートル級ジャンプ)。21日、ニクソン大統領が北京入りし毛沢東主席と直接会談した。ベトナム戦争を終わらせるため中国の協力が不可欠なアメリカと文化大革命で国際的な孤立を深めた中国の利害が一致した。日本政府はアメリカの「頭越し外交」を批判することもできず「過去の対中国外交の見直し」を迫られた(後に担ったのが田中)。この状況下で発生したのが軽井沢の「浅間山荘事件」だった(2月19日から28日まで)。
坪内祐三「一九七二『はじまりのおわり』と『おわりのはじまり』」(文春学芸ライブラリー)によると同年には他にも次の如き重要事象がある。<日活ロマンポルノ摘発、南佐織紅白出場、高松塚古墳発掘、川端康成ガス自殺、沖縄返還、佐藤首相引退、CCR(クリーデンス・クリアウオーター・リバイバル)来日コンサート(「雨を見たかい」が大ヒット)、「はっぴいえんど」松本隆青年のいらだち、金曜夜8時「日本プロレス」放送終了、「太陽に吠えろ」放送開始、「ぴあ」創刊、日中国交回復、パンダブーム、海外旅行者100万人突破、田中角栄の「今太閤」的人気など>
「現代日本政治の混迷」はこの頃に種が蒔かれていたように思う。いわゆる左翼的(革命)幻想が消滅し、他方でイデオロギー的な(資本主義対社会主義)世界も崩壊していた。が、当時の社会党は江田三郎構想を消化しきれず、自民党は岸信介構想を引きずり続けた。現在に続く日本政治の混迷はここに発する。ポピュリズムの進行で混迷は逆に酷くなっているのかもしれない。

