久留米版徒然草 Vol.296

ヒマと退屈に関する哲人の考察

國分功一郎「暇と退屈の倫理学」 (新潮文庫)が哲学書として異例なほどの売れ行きを見せているらしい。現代社会において最も考察に値する哲学的テーマは「ヒマと退屈」なのだ。人類が目指した豊かさ。それが達成されると逆に人が不幸になる逆説。人は「やることがなくなる」と不幸になる。ヒマを得た人々は「暇を何に使ってよいか」が判らない。若者たちは「緊張の中にある生」だけが本来の生活だと考えるようになった。ウサギ狩りに行く者はウサギが欲しいのではない。狩りをしている緊張感(気晴らし)が欲しいのである。「退屈」の反対は快楽ではなく「興奮」である。楽しいことなど求められていない。求められているのは「自分を興奮させてくれる事件」である。退屈が人々の悩み事となったのは「ロマン主義」(人生の充実を探求)のせいだ。人生の意味なんて誰にもわからない。「判らないもの」を求めているから退屈してしまうのだ。人間の不幸は、ただ1つのこと、すなわち「部屋の中に静かに休んでいられないこと」から起こるのである。社交や賭事の気ばらしを求めるのも「自分の家に喜んでとどまっていられないこと」から起こるのである(パスカル)。ヒマ人であることにはかつて高い価値が認められていた(ヴェブレン)。退屈相手の戦いとは何か?それは時間をやり過ごすこと。時間がより早く過ぎるように仕向けること。時間の「のろさ」に耐えられないから(ハイデガー)。生涯を通じ退屈に苦しみ毎日が長くなった人間が人生の最後になって自分の人生の短さを嘆くという現象をどう理解すればよいのであろうか(カント)。

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