天国に行くための記憶
2023年8月13日、久留米シティプラザ 久留米座にて『さいごの1つ前』を観劇。この作品に関してはvol.108で触れていますが、演劇評論家柴山麻妃さんが批評を書かれているので再論。
本作の一つの肝は「記憶」。生きているということは記憶の積み重ねである。私が生きた証は幻のごとく形はないけれど、記憶があるから「私」で在り続けられる。支えや励みになる幸せな記憶もある一方で、まとわりついて離れない悔恨や苦悩というつらい記憶もある。でもそれらを積み重ねて「私」が成り立っている。死んだはずのミチロウやマリンが生きていたときの記憶に縛られているのもその裏返しであるし、また、だから天国に入るのに「その人の持つ最高の思い出」が必要なのだ。(略)この話の行き着く先はというと、なんと彼女が有名な女優であることに地獄の案内人アキオが気づくというものだった。アキオは地獄ではなく現世で幽霊となる「さいごの1つ前」の道を教え、女優のあなたなら誰かに思い出してもらえる、そうしたらもう一度ここに戻ってくるチャンスがあるのだと伝える。彼女が有名な女優だから思い出してくれる人もいる…?正直に言えばこの結末に落胆した。有名でなかったら思い出してもらえないというのだろうか。それではあまりにも救いのない話ではないか。
人間にとって一番大切なものは「記憶」である。この生命を終わるときにあの世に持っていけるものは金ではない。モノでもないし地位でもない。唯一あの世に持っていけるものは「今世での記憶」だけだ。だからこそ「天国に入るためにはその人の持つ最高の思い出が必要」という本作品の想定は現実感を持つ。本作の始末の付け方に柴山さんは不満を述べるが、ヒグチアキオにとってはどうでも良いことだ。人生の終わり方を<舞台という形で>リアルに表現してくれたことに感謝。