久留米版徒然草 Vol.29
医療都市・久留米
九州医学専門学校(現久留米大学医学部)が創設された1928年以来、久留米には多くの医師が育ち、多数の医療機関が設けられた。戦前の久留米は「3しゃの街」と呼ばれた(医者・芸者・自転車:陸軍の影響)。現在、久留米は「高度医療都市」を自称し遠方の来院者も多い。著名人のお忍び診療も少なくないと聞く。医療供給に余裕がある故か遠方の街の救急車も久留米まで搬送している。
筑後の地域文化誌「あげな・どげな」第12号巻頭論文(薬師寺道明教授)「久留米の医学・始まりものがたり」によれば「久留米医学の豊かさ」は江戸時代以来の筑後川流域文化圏の歴史的厚みも背景にある(日田の広瀬淡窓・小郡の高松凌雲・肥前の佐野常民・久留米の酒井義篤など)。久留米医療の中心には久留米大学病院と聖マリア病院という民間病院が存在する。中核市で「市立」病院がなくても余裕の公的医療が存在するのは久留米市くらいでしょう。