けもの道の痕跡
初期のコラムで我妻栄「民法講義Ⅳ」(岩波書店)の序文を引用しました(学者30)。
民法講義ⅠからⅦまでを書こうとする私の仕事はわが国の道路舗装工事に似ている。終点まで完成する前に、初めの方が破損して用をなさなくなり、乏しい予算で、補修工事と新設工事の両面作戦をしなければならない。貫通道路が完成するのはいつの日か。心細い限りである。
私はこう敷衍しました「方法論が確立して初期のコラムを読み返したら恥ずかしいものばかりだったので初期の頃のコラムはほとんど書き直している。本コラムは法律実務を違った視点にもとづき考え直してみたいという個人的興味に導かれて書き綴っているだけ。生命をかけるつもりはないし一貫した本式の舗装の完成を目指すつもりもない」。上記文の発表は2009年9月16日。コラム開始から約3年の間に180本のコラムを書けたことをふまえての記述でした。たしかに本コラムは自分の「生命をかけるもの」ではありませんでした。しかしながら1000本達成を目前にして今感じていることは「自分の知的生命の在り方を表現するもの」として本コラム作成は自分にとって無くてはならないものになったということです。どこかの時点で「1000本書くことを目標にする」という願をかけ、その願が成就したら、自分が学生時代に夢想していた「卒論の後始末(死化粧)」が叶うのではないかと思い始めていました。それが学者の論文に匹敵する「一貫した本式舗装の完成」ではないとしても何か「けもの道」のような形で自分の痕跡を残せたような漠然たる喜びが今はあります。「月5本をアップする」と決めたその日から、道路の完成する日が2023年5月となることは確定していました。問題は「月5本アップの維持が出来るか」でしたが、酷く乏しい知的資源の中でなんとか挫折せずにゴールにたどり着けそうです。とても嬉しく思っています。