5者のコラム 「役者」Vol.165

老成と堕落

北九州芸術劇場で「贋作・桜の森の満開の下」(脚本演出:野田秀樹)を観劇した。素晴らしい舞台であった。そのパンフレットで野田秀樹さんはこのように書いている。

桜の花びらに罪はない。ただ春になったから咲いている。重力があるから散っているだけだ。実はその重力こそ「落差」の正体である。重力があるから上と下が生まれ、そこに「落差」が生まれる。その「落差」を桜の花びらは舞い散り、落ちてゆくのだ。なるほど花見客が桜の木の下で「桜!」と叫ぶと「さ」「く」「ら」の音は満開の花の房に跳ね返り「ら」「く」「さ」の花びらになって落ちてくる。(略)試しに来年の春、桜の木の下で、生きていることを忘れて、是非「さ」「く」「ら」「だ~!」と叫んでもらいたい。すると坂口安吾の声が桜の木の上から聞こえてくるはずだ、散る花びらとなって。その声はこう言っている。「だ」「ら」「く」「さ~!」 (2018年10月28日)

ベテランになるに従って老成することに罪はない。若手とベテランの仕事には落差がある。生活こそ「落差」の正体だ。生活があるから上と下が生まれ「落差」が生まれる。その「落差」を弁護士としての「花」は舞い、散り、落ちてゆくのだ。依頼者が桜の木の下で「桜!」と叫ぶと「さ」「く」「ら」の音は満開の花の房に跳ね返り「ら」「く」「さ」の花びらになって落ちてくる。若い頃に有していた花(理想)が傷つけられると弁護士は「楽さ!」と言える安直な仕事に走りたくなるものなのだ。どうしても。試しに来年の春、桜の木の下で弁護士であることを忘れて是非「さ」「く」「ら」「だ~!」と叫んでもらいたい。すると坂口安吾の声が桜の木の上から聞こえてくるはずだ、散る花びらとなって。その声はこう言っている。「だ」「ら」「く」「さ~」。そう、理想を失った弁護士がただ生活のために「楽だ」と感じるだけの仕事に走るのは「堕落さ」。(涙)