スピリチュアリティへの関心
島薗進「スピリチュアリティの興隆」(岩波書店)に以下の記述があります。
オウム事件以後、人心はもっと冷静になり合理的な精神の価値を見直すようになったのであろうか。そうとも言えない。「精神世界」のジャンルは21世紀に入った今も書店にいすわっている。「精神世界」への関心はやや形を変えて継続しており、さらに発展しているのかもしれない。日本だけではなく「癒やし」や「スピリチュアリティ(霊性)」への関心は先進諸国に共通に観られる傾向だ。これらの言葉に通底しているのは制度化された「宗教」とは違うものを求めようとする気持ちである。(略)老いも若きも、高学歴層もそうでない人々も、生きることの意味や拠り所を求め、死や喪失や苦しみに向き合う支えを必要としている。
オウム事件はカルトの怖さを世に示しました。私は修習先の熊本地裁でオウム事件の審理を拝見しています。その異様さは心に焼き付いています。他方、阪神淡路大震災以降に相次いだ大規模災害により肉親や大切な人の死に直面した方々が多く生じたのも記憶に新しい所。最愛の人を一瞬で失い「生きる意味」を問われた方々が多く存在しましたが「制度化された既存宗教」は(本来ならば最も必要とされているときに)人々の心の求めに答えることが出来ませんでした。21世紀に入った今も「精神世界」ジャンルが書店にスペースを確保しています。スピリチュアリティ(霊性)への関心は確かに(悪質な霊感商法の下敷きになったり普通の社会生活を阻害するなど)不幸の源になることがあります。しかし「生きる意味」を求めるのは人間の本来的な(「実存的」な)問いなのです。その答えを探そうとする健全な認識は人間が良く生きるために不可欠なもの。人の生死や難儀に向き合う法律家(特に弁護士)にとって重要な見識ではないかと私は考えています。