親切心と無償奉仕
tanukiinu先生が「弁護士引退日記」でこう書かれています。
人間として親切心を発揮したいと思う弁護士も居るのでしょうが、親切心を発揮しすぎると弁護士としてはやっていけなくなります。親切心で受けた事件は報酬が見込めず無理を言う依頼者の説得に心身をすり減らすからです。一方、弁護士の無料奉仕に依頼者からの感謝はありません。時間と労力を無意味に費やしたことの後悔と不愉快な気分が残るだけです。「地獄への道は善意で敷きつめられている」という言葉がありますが、弁護士バージョンは「成仏への道は親切心で敷きつめられている」です。もっとも親切心を発揮しすぎて成仏した弁護士には救いがあります。神様がその心映えの良さを愛でて天国に入れてくれるからです。
「親切心」で受任した事件で依頼者から思わぬしっぺ返しをされ嫌な思いをしたことが何度かあります。感謝をされないくらいなら(別に口先だけの感謝を期待してやっていた訳ではないので)別に何ともないのですが、感謝どころか「更なる一層の無償奉仕をしないことに対する非難を始める」者すらも世の中には存在するのですね。弁護士の仕事は本来職業的行動であってボランティアではありません。人間として無償奉仕すべき義務を押しつける相談者に付き合わされる筋合いはありません。他の専門職の方と同様、私も無償奉仕は基本的に断っています。無償奉仕することがないではありませんが自分の意思的選択として行うもの。他人から強要される筋合いはありません。過剰な思い入れは冷静な判断力を曇らせます。無償の「贈与」は呪術的色彩がこもることが多いからです。適切な金員授受による等価交換的対応こそが仕事に「職業」的属性を付与し弁護士業務が帯びがちな「呪術」的色彩を排除することに資するのです(芸者6)。私は未だ成仏したくありません。